国際社会に「炭鉱のカナリア」の教訓を与える
《 記 者 の 視 点 》
名ばかりの民族自治、中国のチベット侵攻から70年が過ぎる
中国がチベットを侵攻し、自国領に組み入れてから70年が過ぎた。現在、チベット自治区とは名ばかりで、安定統治を名目に強権の鞭(むち)がチベットに振り下ろされている。70年に及ぶ中国に統治されたチベットの歴史は、国際社会にその教訓を教えてくれる「炭鉱のカナリア」でもある。
最大の教訓は、隣国中国の脅威認識の欠落にある。
長く続いた鎖国政策で、チベットは周囲に対する関心が薄らいでいたこともあった。また、チベット仏教を守り続けてきたことに敬意は払われるべきだが、深い信心と国家の安全保障は別物だ。チベット仏教に帰依しているからといって国家が守られると思い違いをしてはならなかった。 何より中国共産党は、「銃口が政権をつくる」という武力信仰と「嘘も100回、言い続ければ真実になる」という「嘘(うそ)と暴力」を基軸路線とする。
大体、中国がきれい事の協定や約束をするのは、国力不足を補う時間稼ぎのケースが多い。だから時が経過し中国側が有利になると、協定や約束は反故(ほご)にされ一顧だに顧みられることはない。
中国とチベットが1951年5月23日に交わした17条条約には、中国はチベットの外交、防衛以外のことに対しては尊重し、ダライ・ラマの地位および職権の保証、宗教信仰と風俗習慣の尊重と寺院の保護、チベット語と独自教育の尊重、各種改革への中央政府の不干渉、人民解放軍による蛮行の制御などを定めていた。
だが、この条約が守られることはなかった。
中国の関心事は、チベット軍の牙(きば)を抜くことだった。その口実に不誠実な虚構の手を差し伸べたにすぎない。
中国人民解放軍に編入されたチベット軍兵士や兵器は結局、全国に分散され、自然消滅が図られた。これは編入という名前の武装解除だった。相手の武力を封印した後は、中国のやりたい放題となる。
中国共産党のテーゼ「銃口が政権をつくる」を発動させ、民族自治を隠れ蓑(みの)にしたチベット支配に転じる。多くの寺は破壊され、ダライ・ラマの写真を飾ることも禁止された。民族の文化や伝統の継承役を担うチベット語も、マンダリンに置き換えられていった。
なお米国は昨年末、中国チベット自治区における人権や信教の自由を擁護するチベット人権法を成立させた。同法では、中国がチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の後継者選定に介入した場合、米国が当局に制裁を科すことを許可する。また、中国がチベット自治区ラサに米領事館設置を認めない限り、中国による新たな在米領事館設置を承認しないと規定している。
一方、わが国はどうかというと中国の経済力におもねる財界を中心に、その脅威に立ち向かう気概が乏しい。
だがチベットを支持することは、われわれ自身の自由を守ることと同じだ。まずはチベットの民族自決権から語り始めてもいい。黙っていることは、いつかわれわれでさえ、言論の自由を奪われる可能性があることにつながる。
闇の時代を生きるチベットを対岸の火事として見過ごすと、やがて火の粉は自分に降り掛かる。
犠牲となったカナリアの声を魂に留め置く必要がある。
編集委員 池永 達夫