三島自決から50年、遅々として進まぬ改憲

《 記 者 の 視 点 》

国民民主が「憲法改正に向けた論点整理」で一石

 作家の三島由紀夫が陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地(現、防衛省)で自決して先月25日で50年となった。当時、筆者は中1でクラブ活動に明け暮れていたが、それでもノーベル文学賞の候補にもなった作家が、鉢巻き姿でバルコニーから何かを叫んだ後に割腹自殺したというニュースは衝撃的だった。

 ただ、三島が何を訴えて自決したのかという肝心な点については、先生も友人たちも話題にしなかった。それが、憲法改正のため自衛隊の決起を訴えたのだと知ったのはずっと後のことだ。

 事件当時、1年生の社会科の先生は2人いたが、一人は教科書をひたすらまとめて板書するだけ、もう一人は機会あるごとに共産主義者に対する弾圧の歴史や北朝鮮の発展ぶりを熱く語っていた。今思えば、これは左の声だけが大きくて、右は信条を語らず黙々と働く時代相の反映だったようだ。

 全国の大学や高校に吹き荒れた学生運動の嵐は1969年1月、全共闘や過激派の学生が立てこもる東大安田講堂の陥落で退潮に転じたが、71年には東京(美濃部亮吉)、京都(蜷川虎三)、大阪(黒田了一)はじめ7都府県が“革新”知事となり、共産党は「70年代の遅くない時期」に民主連合政府を樹立すると息巻いていた。一方、「現行憲法の自主的改正」を党是とする自民党は、岸信介首相が60年、日米安保条約改定と引き換えに退陣して以降、憲法改正を具体的な政治日程に乗せる意思すらなくなっていた。

 「法理論的には、自衞隊は違憲であることは明白であり、國の根本問題である防衞が、御都合主義の法的解釋によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廢の根本原因をなして來てゐる」「自衞隊は國軍たりえず、建軍の本義を與へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか與へられず、その忠誠の對象も明確にされなかつた」

 改めて三島が配った檄文(げきぶん)を読んで、その指摘の鋭さと格調の高さに驚いた。ただ、自衛官が子供から「自衛隊は違憲なの」と尋ねられたエピソードを挙げた安倍晋三前首相なら、「9条1項2項を残して自衛隊を明記する」政治的な折衷案の選択も可能かもしれないが、ここまで論理的に鋭いと妥協の余地はなくなる。

 自決から50年たった今も三島が丸裸にした憲法はそのまま残っている。先の臨時国会では、衆院憲法審査会で国民投票法が提出から2年5カ月ぶりに実質審議入りし、自民・立憲民主の幹事長が来年の通常国会で「何らかの結論を得る」と合意した。玉虫色の合意がどんな結論を生むか。

 注目したいのは、国民民主党が発表した「憲法改正に向けた論点整理」だ。「個人」の尊厳を徹底して家庭の役割を省いたり同性婚の保障に踏み込むなど納得し難い部分もあるが、9条の条文と現実の乖離(かいり)を埋める改正も検討するなど、野党側から、憲法全体にわたる体系だった改正の考え方を示した労を多としたい。憲法改正に向けた一石となればいいが、誰がその責任を持つのだろうか。

 政治部長 武田 滋樹