コロナ感染と差別 「正しく恐れる」難しさ


《 記 者 の 視 点 》

 私の故郷は、新型コロナウイルス感染が比較的少ない東北・宮城県だ。同県の感染者数は、88人目が報告された先月28日以来、「ゼロ」の日が続いている。当然、緊急事態宣言は14日に解除された。同県出身者としては、感染がストップしていることを嬉(うれ)しく思っているが、逆に感染者が少ないことによる懸念もある。

 同県内に住む知人と電話で話した時、彼はこんなことを言っていた。

 「もし、自分が感染したら、町の感染者第1号になる。そうなったら、その情報はたちまち地域全体に広まり、家族みんなが肩身の狭い思いをしないといけない。そこが田舎は嫌なんだよな」

 感染症と差別の問題は、人間関係の希薄な大都会であっても同じだが、東京の場合、地域の結び付きが弱い上、すでに5000人を超える新型コロナ感染者が出ており、差別や偏見の被害に遭ったとしても、田舎ほどではないだろう。

 特に、田舎の場合、異性の感染者の「濃厚接触者」としてPCR検査対象となり「陽性」になったら悲劇的だ。どのような噂(うわさ)が広がるのかは、田舎で育った人間ならすぐ察しが付く。

 濃厚接触という言葉を聞いて、妙なことを想像する人間がいたとしても不思議ではないのである。

 緊急事態宣言は解除されても、感染リスクがなくなったわけではない。まだ感染者が出ていない自治体では、新型コロナそのものへの恐れと「感染第1号になるかもしれない」という強迫観念の二重のストレスを抱えながら生活する住民は少なくないだろう。

 歴史を振り返ると、正しい知識や理解不足から、感染症は差別や偏見と結び付いてきた。その代表例はハンセン病だ。法律によって療養所に強制隔離され、家族も差別と偏見に曝(さら)された。

 また、知識不足による差別は、東京電力福島第1原発事故(2011年)の際にも起きた。

 福島県民や事故現場で働く人々やその家族に「放射能がうつる」などという、心ない言葉が浴びせられることがあった。それに対しては、放射能について正確な知識を知って「正しく恐れる」べきだとして、教育の重要性が指摘された。

 新型コロナについても、同じことが言えるが、このウイルスについては専門家が存在しないため、まだ分かっていないことが多く、正しく恐れることが難しい。それが過剰な防衛反応を引き起こし、差別や偏見に結び付きやすい。この点は、東京も地方も同じである。

 だが、誰もが感染する可能性があるウイルスであることだけは確かだから、感染者の身になって考えることを心掛ければ、差別的な行動は抑えられるはず。そうすれば、感染の恐怖と闘いながら、新型コロナとの戦いの第一線で苦労する医療従事者に対しては、感謝の念が湧いても、差別の目を向けることなどできるわけがない。

 社会部長 森田 清策