10年後、「看取り難民」49万人に

看取り士 柴田久美子さん

幸せな最期を迎えるために

 人は亡くなる時、その心と魂を子供や孫、親しい人に引き渡していく。だから、「私の命を上げるから、必ず最期を看取(みと)ってほしい」と周りの人にきちんと伝えておこう。そのお手伝いをするのが看取り士。柴田さんは、抱き締めて見送った多くの人たちに、人生の最後を幸せな時間で満たすために必要なことを教わったという。
(4月7日、香川県さぬき市の願興寺での講演より)

抱いて旅立ちをお見送り/原点は一晩中抱いてくれた母

病院で亡くなる人が85%/日常生活から切り離される死

300 人の最期を、手で触れ、目で見て、体で受け取る看取り士の活動を始めて4年になります。今、看取り士の仲間は全国で55人、それを支えるボランティアのエンゼルチームが92支部あり、1人の看取り士と10人のエンゼルがチームを組み、依頼者が幸せな最期を全うされるお手伝いをしています。こんなことを始めようと思ったのは、私の小さな頃の二つの体験が元になっています。

 一つは、小学校5年生の冬、持病の小児ぜんそくの発作で死にかけた時のことです。気が付くと、往診に来た医者と父がひそひそ声で話していました。「娘さんは今夜が山です」と言う医者に父が頭を下げ、母が私を抱いて大粒の涙を流していました。臨死状態になった私は体を抜け出し、天井のあたりから下を見ていたのです。翌朝、目を覚ますと、私は母の腕の中にいて、母は一晩中、祈りながら私を抱いてくれていました。それが、旅立つ方を抱き締めて送る看取りの元になっています。

 もう一つの経験は父が胃がんで亡くなった時のことです。入院から自宅に戻った父が重病だとは知らない私がある日、タンポポの花をいっぱい摘んで帰ると、靴がたくさん並んでいました。父の寝室に行くと母が私を抱き寄せ、それを待っていたかのように父が、一人ひとりに「ありがとうございました」とお礼を言い、最後に私の手を握って「ありがとう、くんちゃん」と言いながら目を閉じました。

 この二つの体験から、私は人の死に寄り添い、全ての人に幸せな最期を用意してあげたいと思い、22年前に介護の世界に入りました。ヘルパーになり高齢者の施設で働きましたが、ほとんどの人が病院に搬送され、延命治療の果てに病院で亡くなっていて、これでは幸せな最期ではないと思いました。

 人は何のために生きるのだろうと真剣に考え、たどり着いたのがマザー・テレサの「人生の99%が不幸であったとしても、最期の1%が幸せなら、その人の人生は幸せなものに変わる」という言葉です。この言葉に残りの人生をかけてみようと思い、病院も老人ホームもない島根県隠岐の離島に移住しました。

 当初、村の社会福祉協議会のヘルパーとして働き、その後、看取りの家を開きました。そこで介護者のいない幸(高)齢者などを預かり、抱いてお見送りするお世話をしました。長男を白血病で亡くした老婦人は、「あなたは親のない子、わしは子のない母、ありがとうなんて言わんよ」と言って3年目に亡くなりました。「世話になったなあ、ありがとう」と、一度だけ言われた「ありがとう」が心に響きました。

 看取りの時、私はいつも驚くべき二つの体験をします。一つは、見慣れた風景が、初めてのような鮮やかさで目に飛び込んでくることです。もう一つは、面識のない人が弔問に来ても、愛しさが込み上げてくることです。なぜでしょうか。

 人は三つのものを頂いて、この世に生まれてきます。体と良い心、そして魂です。亡くなると体は変化しますが、良い心と魂はそのまま残り、子や孫に受け継がれていきます。私は亡くなる人を抱き締めながら、その人の魂が私に移り、私の魂に重なって生きるようになるのを感じています。

 厚生労働省の予想では、団塊の世代が平均75歳になる2025年には、病院や施設以外で亡くなる「看取り難民」が年に49万人にもなります。私たちの夢は、誰もが愛されていると感じて旅立てる社会づくりです。

 今、病院で亡くなる人が85%で、自宅死は孤独死も含め13・6%です。私たちの調査では8割の人が自宅での旅立ちを願いながら、かなえられていません。病院で死を迎える人が増えるにつれ、人々の日常生活の場から死が切り離され、核家族化の広まりで、私たちは家族の旅立ちを目にすることが減りました。

 講演した小学校で、「大好きなおじいちゃんは病院に捨てられたんだよ」と言った4年生の男児がいました。同居していた祖父が救急搬送され、病院で人工呼吸器を付けたのですが、とても苦しそうなので、彼を病院に連れて行かないまま、数日後に亡くなったということでした。彼が次に会ったのは、納棺されたおじいさんだったのです。

 彼は祖父の死を受け入れることができずにいたのです。両親にどうしたらよかったのかと聞かれ、どんなにひどい状態でも子供に見せ、「おじいちゃんはこんなに頑張っているんだよ」と手を握らせ、旅立った後の体の温もりと、それが冷たくなっていくことを、体で感じさせてほしかったと言いました。旅立ちの時、私たちは魂のエネルギーを次の人に渡しています。一人ひとりが命の重さに気付いたとき、この国の未来は明るくなると思います。

 人として生まれた以上、自分の命に責任があるのです。自分の命を幸せに終え、魂を子や孫に渡すのが、最後にすべきことです。子や孫の世話になるのを恥ずべきではありません。「私の命を上げるから、必ず最期を看取ってほしい」と言ってください。子供のいない人は、ゆかりのある人にそう言ってほしい。

 住み慣れた我が家で幸せな最期を迎えるには、まずその意識を持つことが大切です。そして、家族がいいよと言うまで、根気よく話し合ってください。よく、自宅で亡くなると警察が入るのではと聞かれるのですが、かかりつけ医がいると、死後に死亡診断書を書いてくれるので問題ありません。

 臨終は「臨命終時(りんみょうしゅうじ)」の略で、死を迎える直前の時期のことです。医師は死亡を確認して「ご臨終です」と言うのですが、看取り士は「命の終わりに臨む時」と考え、その時間を幸せに過ごせるよう寄り添います。ですから、体が冷たくなるまで肌を離すことはありません。

 家族にはグリーフケアのため、冷たくなった体にも触れてもらいます。愛する人の死を受け止めることができず、うつになる人が多いのを防ぐのがグリーフケアで、その後の家族の幸せのため、納棺までが看取りの仕事だと考えています。葬儀社の人が、体の温かいご遺体を納棺しようとすると、待ってもらいます。

 昔の日本はゆっくりとお別れをしていたのですが、今は効率が優先されるようになりました。亡くなるのは病院、葬儀は葬儀社と役割が分担されるにつれ、大切なものをどこかに置き忘れてしまったように思います。愛する人を最後の1週間は抱き締め、旅立ちから1週間はその人のことを思い、しっかりお別れをすることが本当の豊かさだと、抱き締めて見送った多くの人たちに私は教えられました。

 柴田さんは島根県出雲市の生まれ。日本マクドナルド勤務を経て、福岡市で特別養護老人ホームで寮母などを務めるなか高齢者の望まない死を目の当たりにし、2002年に隠岐の離島で自然死を迎える看取りの家「なごみの里」を設立。その後、鳥取県米子市でボランティア組織「エンゼルチーム」を創設。現在は岡山市を拠点に92支部のエンゼルと55人の看取り士で活動している。一般社団法人日本看取り士会、同法人なごみの里代表理事。著書は『看取り士』『ありがとうの贈り物』『ありがとう おばあちゃん』『いのちの革命』など多数。