婚外子の権利か家族の保護か~婚外子最高裁判決の波紋 高崎経済大学教授 八木秀次

 高崎経済大学の八木秀次教授は10日、世界日報の愛読者でつくる世日クラブ(会長=近藤讓良・近藤プランニングス代表取締役)の第152回定期公演会で「婚外子の権利か家族の保護か~婚外子最高裁判決の波紋」をテーマに講演した。以下はその講演の要旨。

最後の砦、最高裁が変質

法の賢慮なく個人の尊重のみ/「家族の解体」へ向かう恐れ

国民意識に変化なし/家族基本法の制定を

500 最高裁はこれまで、法の賢慮に基づいて判断するという意味においてはよくやってきた。ところが、9月4日の婚外子、正確に言えば非嫡出子の相続を嫡出子と平等にするという方向を打ち出した決定は、これまでの最高裁の在り方からすれば実に異質な、最高裁の変質を物語る決定ではなかったかと思う。

 最高裁の裁判官は長官を入れて15人で、その構成は、福田内閣任命1人、麻生内閣任命2人、民主党政権時代の任命9人、第2次安倍内閣任命が3人。今回は法務省の民事局長経験者が外れ、14人の全員一致で決定を出した。この決定が出た時、また判事の構成を変えればいいと思ったが、第2次安倍内閣任命が3人も入っていることを知って愕然とした。最高裁の判断だから国会もその考えに従わざるを得ない。そういう意味で最高裁は最後の砦だった。その最後の砦が崩れようとしている。これは深刻だ。

 今回のケースは、嫡出子と非嫡出子の相続に関する民法900条4号ただし書きの規定についてだが、現行法では非嫡出子は嫡出子の2分の1という形になる。それが差別だというのが今回の判決の趣旨だ。

 現在の憲法は14条で法の下の平等を示しているが、絶対的な平等を求めているわけでなく、合理的な根拠がある差別は認めている。この合理的な差別に、非嫡出子の相続が2分の1であることが当たるかどうかが最大の争点だ。

 これについて平成7年7月5日の最高裁大法廷の判決は合理的差別に当たる、と言っている。「本件規定の立法理由は、法律上の配偶者との間に出生した嫡出子の立場を尊重すると共に、…非嫡出子の立場にも配慮して、非嫡出子に2分の1の法定相続分を認めることにより…、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整をはかったものと解される」

 これを今回ひっくり返した。よほどの理由があるんだろうと思ったが、そうでもない。「時代と共に変遷するものであるから、その定めの合理性については個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され、吟味されなければならない」と言いながら、社会経済状況の変動に伴い婚姻や家族の実態が変化し国民の意識も変化、外国の状況、国連機関からの勧告、民法以外の法律(とりわけ国籍法)の改正、平成8年の法制審議会の答申などを検討、吟味。

 その後「種々の要素を総合考慮し、個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らし、嫡出でない子の権利が不当に侵害されているか否かという観点から判断されるべき法的問題である」といって、憲法13条の「個人の尊重」を原理主義的に推し詰めて憲法違反と判定した。法の下の平等では、合理的差別から非嫡出子の相続分を2分の1とすることを排除した。

 非嫡出子の相続分を2分の1にすることによって、法律上の正式の婚姻関係(法律婚)とそれ以外の男女関係をはっきり区別しながら、同時に法律婚を重視した形になっている。それを平等にするということだから、法律上の正式の婚姻関係と法律によらない男女関係を平等に見る方向に振れようとしている。そういう意味で家族の解体、婚姻制度の形骸化につながると言わざるを得ない。

 この決定は国民意識は変化していると言いながら途中で変化していないと言い、訳の分からないところがあるが、少なくとも国民意識は変化していない。わが国は世界の中でも稀な非嫡出子の少ない国だ。

 法律上の婚姻関係とそうでない婚姻関係は結び付きが全然違う。法律上の婚姻関係を解消するのは手間がかかる。法律上の婚姻関係を世間に周知させることによって当事者同士の結び付きが強くなる。なぜそうしているかというと、その間に生まれた子供の方が心身ともに健全に育つからだ。だからこそ、法律上の婚姻関係をこれまで保護してきた。

 私が懸念するのは、今回の最高裁の決定が一里塚になることだ。そもそも非嫡出子の相続を嫡出子と平等にしろと言い始めたのは、マルクス主義にシンパシーを持っているフェミニズムの立場に立つ人たちだ。典型は社民党の福島瑞穂氏。

 彼女たちは、法律上の婚姻関係とそれ以外の男女関係、事実婚とか恋愛関係とか、それを価値として平等にしろと主張してきた。「女性のライフスタイルについての自己決定権」という名の下に。狙いは、明らかに婚姻制度の否定、解体だ。

 マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』が「家族の廃止」を唱えているように、共産主義者の最終目的の一つには家族の廃止、家族制度の否定がある。そちらに向けての主張であることは間違いない。

 法務省の役人や法曹界の中には、今回の最高裁決定に同調する人がたくさんいる。法制審議会の平成8年の答申にも、非嫡出子の相続差別の撤廃のみならず、選択的夫婦別姓の導入、再婚禁止期間の撤廃、いわゆる300日規定(離婚後300日間に生まれた子供は前の夫の子供と推定)も取れということが出ている。これは全部セットだ。

 平成8年の答申は自社さ連立政権時代、つまり社会党の影響がある。1990年代の半ば以降というのは社会党の影響でいろんなおかしな政策や審議会の答申が出ている。その流れだが、今回の決定を一里塚としてそちらの方向に行きはしないかと懸念している。

 そうさせないために、最高裁の論理はおかしいということを言うとともに、いろんな手を打っていかなければいけない。

 私が提案したいのは、究極的には憲法に家族尊重条項を設けることだが、憲法改正は少し先の話かもしれない。9条の改正はあるいはできるかもしれないが、家族尊重条項を設けるにはしばらく時間がかかるだろう。その前に家族基本法を制定すべきではないか。ドイツのワイマール憲法の趣旨を踏んだ、あるいは現在の民法や刑法の中でさまざま家族尊重に関わるような条項を統一した形での基本法が必要だ。

 現在、社会保障の単位は裸の個人。このばらばらの個人を社会保障で面倒見ることは到底無理だ。かつて大平内閣の前後に自民党は「日本型福祉社会」という構想を打ち出して、家族を中心とした福祉社会の在り方を考えた。子供との同居を促すような法制度や税制にもっていくべきだ。

 村山内閣の時に、社会保障の単位を世帯から個人へと大きく舵(かじ)を切り、民主党政権でそれが加速した。国家財政も破綻しそうだ。それを避けるためにも、福祉も入れて、家族を中心とした社会の在り方に切り替えていく必要がある。

 今回の最高裁のおかしな決定を機に、人々が危機感を持ち、そういった政策になっていけばまだまだ取り返しできると考えている。

 やぎ・ひでつぐ 昭和37年、広島県生まれ。早稲田大学法学部卒業。同大学院政治学研究科博士課程中退。高崎経済大学地域政策学部教授。専門は憲法学、法思想史。一般社団法人「日本教育再生機構」理事長、フジテレビジョン番組審議委員。第2次安倍内閣の「教育再生実行会議」委員。著書に『誰が教育を滅ぼしたか』『明治憲法の思想』『憲法改正がなぜ必要か』など多数。