「雨聞いてより春眠の深かりし」(小島延介)…


 「雨聞いてより春眠の深かりし」(小島延介)。春になると眠気を催すことが多い。電車に乗ると、スマホで指を忙しく動かしている人や眠っている人ばかり見掛ける。ウトウトして目的の駅を乗り過ごすことも。

 春はそれほどなぜか眠くなりやすい。かつて高校時代の漢文の授業で習った漢詩「春眠暁を覚えず」(孟浩然の五言絶句「春暁」から)を思い出す。今でもほぼ朗唱できるのは、暗記教育のいい面だろう。

 江戸時代は寺子屋で論語などの素読がなされていたが、改めて朗唱を見直してみてもいいのでは。漢詩や古代の歌集・万葉集の和歌はリズム感のあるので覚えやすい。それは詩がもともと声を出して朗唱するものだったからだろう。

 和歌も朗唱するものから文字に書かれることが主体になって、リズム感や肉声の響きを少しずつ失っていったような印象がある。江戸から明治に入り、和歌も俳句も知的な構成のものが増え、言葉が説明的で解説的なものになっている。

 その意味で、近現代の詩歌はあまり朗唱するには適さない。これはもちろん、文明の発展によって情報量が多くなり、文字を書く方が合理的だったこともある。

 5月から改元により「令和」になるが、典拠になったのが万葉集ということで、注目されている。まだ和歌を詠んだ人々の肉声、リズムが残っていると思うので、鑑賞する時には、日本語の美しさを知ることができる音読をぜひしてもらいたい。