俳人の故石原八束が主宰する俳句雑誌「秋」…
俳人の故石原八束が主宰する俳句雑誌「秋」を始めた時、恩師の詩人である三好達治を自宅に招いて文章の勉強会が行われるようになった。昭和35年のことだが、三好の発案によるもので「俳人も文章が書けなくては」との配慮。
小紙・世日俳壇の選者、平木智恵子さんはそのころ三好から文章の指導を受けた一人だった。俳人の皆さんからしばしば句集を贈呈されるが、俳句はうまいが文章はまだまだという印象を受けることが多い。
つまり主宰者は俳句の指導はよくするが、文章までは手が及ばないという現実があるようだ。先日、俳人協会による各賞の授賞式が行われたが、大串章会長の憂いは評論部門が弱体化していること。
今回は伊藤伊那男さん(俳人協会賞)、日下野(ひがの)由季さん(俳人協会新人賞)、堀切克洋(かつひろ)さん(同)、青木亮人(まこと)さん(俳人協会評論賞)が受賞。ところが、評論新人賞は5年連続して受賞者がいない。
しかし今回は日下野さんと堀切さんがともに「評論にも力を入れたい」と語り、青木さんも「これまでよりももっと評論に力を入れる」と語ったことで、大串さんの不安を取り除いたらしい。
青木さんに至っては、評論に忙しいので「俳句の実作は来世で」と語る。青木さんが関心を持つのは時代が変われば消えてしまうもの、空気のようなその響きだ。俳句と散文とでは表現上の大きな違いがある。勉強の仕方も異なる。両者は相互に関わりつつ磨かれていくのだろう。