「歴史とは勝者の歴史」と言われる。勝った…
「歴史とは勝者の歴史」と言われる。勝った者が歴史を記述する権利を持つという意味だ。が、勝者の誰もが歴史を記述できるわけではなく、業績は大きいものの謀反を起こされ自害した織田信長や、謀反を主導した明智光秀は、歴史を記述するだけの時間がなかった。
その点、鎌倉幕府は150年の歴史を持ったが故に『吾妻鏡』(鎌倉時代後期成立)という著作を残すことができた。
鎌倉時代について貴重な情報源となっているこの本にも「勝者の歴史」ははっきり刻印されている。例えば、現在の千葉県中部の上総広常という武将は悪く書かれている。逆に、千葉県北東部の千葉常胤(つねたね)が称賛される。
この不公正について、広常一族は滅亡したが、常胤の子孫は『吾妻鏡』編纂(へんさん)時に生存していて、先祖の功績を強調したためだったというエピソードがある(元木泰雄著『源頼朝』中公新書/近刊)。常胤の子孫らが、先祖のライバルだった広常をことさら悪く伝えた可能性もある。
『吾妻鏡』の信頼性にも関わりそうな話だが、だからと言ってこの本全体がこんな調子であるわけではなく、史料的価値は今日でも高い。徳川家康が愛読したとも言われる。豊臣家を滅ぼすに当たって『吾妻鏡』を大いに活用したことは十分考えられる。
『吾妻鏡』に限らず、あらゆる史料が時に不正確な部分を含むのは避けられない。「記述の全てをうのみにするのは危険」という程度の警戒心は必要だろう。