「組織と個人」というテーマがある。かつては…
「組織と個人」というテーマがある。かつては「強大な組織」が一方にあり、「無力な個人」がそれに向き合うという図式だった。個人が組織に勝つことは困難だとしても、どれだけ戦えるかというテーマだった。
今は逆に「強い個人」対「弱い組織」というふうに様変わりした。千葉県野田市の女児死亡事件では、被害者を虐待していた父親が「強い個人」だ。
不思議なことに、今でも「強い組織」のイメージは残っている。住民と自治体が対立すると、メディアは「住民=善、自治体=悪」という文脈に入り込む。
高級住宅地に区の施設を建設する説明会で、住民側は「ここはランチの値段も高い。そんな施設は、この地には不適切」として反対する。明確な差別発言なのだが、「住民=善」という文脈が前提であるために容認される。
「住民=善」は、ここ40年ぐらいの間に広まった。野田市の事件も、父親の特異な個性もあるが、「住民=善」という価値判断も影響していよう。父親の心の中には「小さな自治体は狙い目」という認識もあったのではないか。彼は粗暴ではなく、理詰めだったという。対応した市教委の担当者も、こうしたタイプに不慣れな点はあったようだ。
半世紀前は、役所は「お上(かみ)」だった。それがいつしか逆転した。このような変化を見透かした上で狡猾(こうかつ)な動きをする住民が増えてくるのも当然だ。「住民=善」という文脈も、そろそろ耐用期限が切れたのではあるまいか。