「大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」…
「大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか?」。通り掛かった人から声を掛けられた。冷え込みが少し厳しく感じられた深夜の私鉄駅のエスカレーターで改札階まで上がったところで突然、一歩も動けなくなった。激痛が腰部を襲ったためで、壁に手を突いて我慢し、嵐が過ぎ去るのを待っていた時である。
一瞬、呼んでもらった方がいいかと思ったが、口を突いて出たのは「大丈夫です。少しすれば収まりますから」だった。駅員も駆け付けてきたが「少し休めば大丈夫ですから」で押し通した。
駅から自宅まで300㍍ほど。いつもであれば5分とかからない距離だが「歩けるかな」と不安を抱えながらよたよたと改札口を出た。20㍍と行かないうちに後ろから声を掛けてきたのは車椅子の中年女性だった。
「大変そうですね。車椅子に手を掛けて歩いたらどうですか」。勧めに甘えて後ろの介護者用の把手(とって)を握ると、ぐっと楽に歩けた。車椅子を押すのではなく、女性の手が車輪を回して進むのに付いて行くだけ。「いつも助けられるばかりだけど、これで人助けできるとはね。初めてだわ」。
幾分弾んで聞こえる女性の声にも励まされ、ようやく家に着いた。同時に、激痛がぎっくり腰によるものであることに気付いた。20年ほど前の同じ痛みを思い出したからだ。
以上はごく最近の私事で恐縮だが、一時でも障害を持つ身になった眼(め)から見えてくるのは、支え合う共生社会の多様な風景である。