「おでん屋のうすぎたなさが性に合ひ」(石田…


 「おでん屋のうすぎたなさが性に合ひ」(石田壮雪)。めっきり寒くなり、風の当たりも強く感じるようになった。北国では大雪の便りも聞く。

 こうした時には、熱い飲み物や鍋物が欲しくなる。特に、よく煮えたおでんが食べたくなる。冒頭の句のように、どこか田舎くさい店でおでんを食べた記憶がある。匂いをかぐと、母の手作りの味を思い出す。少し味が濃くしょっぱかったことも。

 ところが、最近ではコンビニのおでんが手軽に食べられるので時々利用するようになった。コンビニでは明るい照明の中で、きれいに具材が並んでいるので、最初は戸惑うことが多かった。

 しかも、醤油(しょうゆ)などが染み込んだ黒い色合いではない。ダイコンも薄化粧したようにきれいに見える。きっとあまり味が染み込んでいないのだろうと最初は思った。ところが口に入れてみると、味付けがしっかりしていることに驚いた。どのように調理されているのだろうか。

 「人の世がたまらなく好きおでん酒」(西村無二坊)。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には、おでんについて「もとは田楽からきている。蒟蒻(こんにゃく)、さつま揚、焼豆腐、竹輪、はんぺん、大根、がんもどきなどをだしを利かせて醤油仕立てに煮込み、辛子をつけて食べる」とある。おでんの背後には家族団欒(だんらん)の光景がほのかに見えてくる。コンビニのおでんはおいしいけれど、団欒のイメージには結び付かない。買って帰る時に少しばかり残念に感じることである。