「秋の山憩はむとして眼の下にわれとおどろく…


 「秋の山憩はむとして眼の下にわれとおどろく松茸ひとつ」(岡野直七郎)。一昔前の日本ではアカマツの山に分け入ってマツタケを採集することができたが、今ではそのような山はあまりない。

 里山が減ってしまったし、アカマツの利用もされなくなって、マツタケが生育できる環境が激減してしまったからだ。それでも季節が巡ってくるとスーパーにマツタケが並ぶ。外国産のものも多い。

 万葉集ではマツタケのことを「あきのか(秋香)」と表現している。「高松の此の峯もせに笠立てて盈(み)ち盛りたる秋の香のよさ」。傘を立てて狭い峰に満ちあふれているとマツタケを描写している。

 こうした光景は現代では想像しにくいが、当時としてはあり得たのだろう。シイタケ、シメジ、エリンギと栽培物は一年中入手できるが、天然物のキノコはその季節しか味わえないもの。

 先月、福島県の山中をドライブしていたら、直売店に秋の産物が並んでいた。そこで見掛けたキノコは香茸(こうたけ)。「幻のキノコ」と言われ、野趣あふれる香りはマツタケ以上で高価だ。高級茸の代表格。

 俳人の清水余人さんは30年ほど前、信州上田でキノコ狩りをし、「地の茸」の美味(おい)しさを知った(「俳句文学館」10月5日号)。好きになったのはアカヤマドリダケだ。茶色いメロンパンのようで傘の裏がスポンジ状。スパゲティに和えて食べたが、「森を抜ける秋風の匂い」と形容する。土地の人だけが知る名品なのだ。