民泊という言葉に初めて出会ったのは、韓国を…
民泊という言葉に初めて出会ったのは、韓国を旅行していた時である。23年前のことになる。1人でバスを乗り継いで旅館に泊まり、ソウルから慶州、大田と歴史の舞台を訪ねて歩いた。
大田でバスを下車し、タクシーに乗り換えて向かったのは鶏龍山国立公園だった。中腹にある東鶴寺は幾多の古刹(こさつ)と食堂が並ぶ名所だが、下車してすぐに鶏龍山の頂上を目指した。
登り始めたのが昼すぎ。1月のことで登山路には氷が張り、林は霧氷に覆われていたが、予定通り山頂に登って同じ道を下ってきた。東鶴寺に戻ったのは日没時。食堂で食事をすることができたが、その後の予定は未定だった。
食堂で宿について尋ねると、民泊があると教えてくれ、主人が店じまいした後、軽トラックで送ってくれた。東鶴寺では旅館の看板は見掛けず民泊の看板が多くあった。気流子のような旅人が宿泊するのだろう。
日本の民宿に相当するのかと想像したが、そうではなかった。部屋は住宅とは別棟で旅館より安く、室内にあるのは寝具だけで洗面所も外。簡素そのものだったが、オンドルが温かく快適だった。
わが国で住宅を有料で貸し出す民泊のルールを定めた民泊法が施行され、本格的に営業が解禁された。民泊を舞台にしたテレビドラマも放映されている。増える外国人旅行者を泊めることが狙いで、彼らとの交流を期待する事業者が多いという。韓国の民泊では、それはなかった。