「強制不妊手術」。こんなおぞましいことが…
「強制不妊手術」。こんなおぞましいことが旧優生保護法の下で行われていたことを、つい最近までほとんどの日本人は知らないできた。気流子も同様で、我ながら不覚としか言いようがない。
自身の同意のないまま不妊治療をさせられ、憲法で保障されている人権を侵害されたとして、男女計3人が国に損害賠償を求め提訴した。この問題をめぐっては、宮城県の60代女性が国を提訴し、仙台地裁で審理が始まっている。
厚生労働省によると、全国で少なくとも2万4991人に不妊手術が行われ、うち1万6475人は本人の同意がなかった。
不妊手術を強制された人たちは、自分の子供を産み育てる喜び、子孫を残す道を絶たれた。幸福追求の土台を奪われたというに等しい。手術を受けた当時、その意味を十分理解することはなかったかもしれない。しかし、幸せそうな親子の姿を見るたびによみがえったであろう悔しさと苦痛を思うと胸が痛む。
優生保護法が成立したのが戦後の1948年で、母体保護法に改正され、強制不妊手術の条文が削除されたのは96年であったというのも驚きである。明らかに障害者への偏見と差別が存在した。
国や自治体の責任を追及し補償への道を探るのは当然だが、それだけで済むとは思えない。このような誤った施策が進められた背景には、進化論思想や唯物論的な生命観、それに基づいた人口政策があった。こうした問題の検証と自省が必要ではないのか。