「海の色失はれ行く日短(ひみじか)」(稲畑…
「海の色失はれ行く日短(ひみじか)」(稲畑汀子)。「日短」とは、冬の昼間が短いことをいう。朝もなかなか夜が明けないような薄暗さが続き、夕方から夜になる時刻も早い。
日短は俳句の季語だが、よく使われるのは「短日(たんじつ)」という言い方だろう。稲畑編『ホトトギス新歳時記』には「冬の日の短いのをいう。冬に入るとしだいに日が短くなり、やがて冬至に至る。あわただしく日が暮れると、人の暮しもそれに追いかけられるように、気ぜわしくなる」とある。
現代でも12月は一年の総決算ということで何かと忙しいものだが、江戸時代の商家はこの時期、それまで掛け売りした商品の代金を回収するために奔走するので、ことのほか気ぜわしかった。これは節季払いと呼ばれる慣習である。
「地下鉄を出て冬の日既になし」(佐藤漾人)。昼が短い冬は、景色の色合いがどこか淡い感じになる印象を受ける。この季節の弱い日差しの影響だろうが、空も海も全体的に水彩画のように薄い。春夏秋冬を人間の一生に例えるならば、冬は老年期ということになろうか。
その意味で、冬はものの終わり、死の時期というイメージが強い。とはいえ、冬もやがて終わりが来る。その中から次の世代が産声を上げ、新しい生命の季節である春を迎える。このように考えれば、冬は次の生命を生むための準備期間とも言えるだろう。
この時期は、ものを思うことが多い。12月が一年を振り返る月だからだろうか。