『徒然草』(137段)の中に葵祭を話題にした…
『徒然草』(137段)の中に葵祭を話題にした箇所がある。祭りの行列は次々とやって来るわけではない。見物席で待つのも面倒なので、奥に入って飲み食いしたり、囲碁や双六(すごろく)をやったりして時間をつぶす者もいる。行列がやって来ると、食事もゲームも放り出して見物席に戻ってくる。行列の様子だけは見落とさない。
そんな光景を目にした作者は、居眠りなぞして行列に熱中することがない都の立派な身分の見物客を高く評価する。
「余裕なく祭りの行列だけに熱中する田舎者よりは、自由に祭りを楽しむ都人の方が自分には合っている」と都人を自覚する吉田兼好が、自身の美意識を改めて確認した話と受け止めればよいのだろう。
137段の冒頭では「桜は満開に限る」という固定的な美意識に対して「果たしてそうだろうか?」。満開以前の桜も、散り残りの桜も、それはそれで面白いのではないかとの疑問を呈している。
満開の桜へのこだわりのなさも、祭りの行列を余裕を持って見物する都人の美意識も、都の歴史の深さから生まれたものだ。京都が都になってから『徒然草』成立までには500年以上の歴史がある。こうした美意識が形成されるには十分な時間だ。
下級貴族の末裔(まつえい)である兼好は、田舎者が苦手で、特に東国者を嫌ったというが、『徒然草』全体からは格別イヤ味なものは感じられない。成立後約700年のこの作品は、堂々たる国民の古典として読み継がれている。