東京都板橋区の高島平団地のある一帯は、昭和…


 東京都板橋区の高島平団地のある一帯は、昭和40年代に開発される以前には、「赤塚田んぼ」と呼ばれた水田地帯だった。水田がなくなった今でも、農業の様態が祭礼として保存されている。

 それが2月13日(旧暦正月13日)の夜、小高い丘の上にある赤塚諏訪神社で行われた「田遊び」だ。19世紀前半の『新編武蔵風土記』に「蒔入ヨリ苅取マデ農業四時ノサマヲ次第ニナシ、イト古雅ノ祭ナリ」とある。

 暗い境内に人々が大勢集まってくる。どんど焼きも行われるので、消防隊も出動している。祭りは社務所での歌謡から始まり、御神酒と沢庵が黒紋付羽織姿で田遊びを取り仕切る役人や氏子、来賓に振る舞われる。

 田遊びの起源は田楽舞だが、各地に伝わっていく間にその土地の習俗と融合し、特有の形になっていったという。板橋の田遊びは一連の儀式がほぼ完全な形で伝わっていて、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 「修祓・降神の儀・祝詞奏上」をはじめ、いくつもの趣を異にする儀式が連続して行われるが、田遊びは最後の「もがりの行事」で披露された。役人たちが餅とニワトコの枝で作った農具を用いて、本殿前に設置された小さな舞台で演じる。

 田植えから刈り取りまで模擬的に行って、五穀豊穣や子孫繁栄を祈願する「予祝行事」である。伝承された古風な言葉を聞いていると、遠い昔からの人々の生活感情や礼儀作法が心に響いてくる。東京にある歴史の古層、鄙(ひな)の文化だ。