作家舟橋聖一は昭和51年のきょう亡くなった…
作家舟橋(ふなはし)聖一は昭和51年のきょう亡くなった。享年71。文壇の大御所として、同い年の丹羽文雄(平成17年没、享年100)と終生のライバル関係にあった。
雑誌の同じ号に両者の作品が並ぶことも多かった。目次のトップに舟橋の名が載れば、丹羽は巻末にと、編集者も大いに気を使った(大村彦次郎著『文壇うたかた物語』)。
舟橋は、目次の順序にこだわるだけでなく、自作の見出しの幅を物差しで測るとも言われた。演劇界でも強い影響力を持っていたので、看板の大きさにも関心を抱いていたことと関係がありそうだ。
編集者だった大村氏が社の同僚数名と共に舟橋邸を訪問した時、「君らの中で一番偉いのは誰か?」とのご下問があって、一同閉口した。一般に出版社の人間は、社内の上下関係を重視することは少ない。その時舟橋は、殿様のように脇息(きょうそく)にもたれていたという。
両者とも亡くなった今、文学者としてどちらの評価が高いかと言えば、間違いなく舟橋だろう。丹羽は舟橋の死の直後、舟橋ももらわなかった文化勲章を受章したが、これといった代表作は残さなかった。作家としての業績よりも、文壇のまとめ役として働いたことが受章理由だったようだ。
井伊直弼を描いた舟橋の歴史小説『花の生涯』は昭和38年、今日まで続くNHK大河ドラマの第1作となった。大河ドラマもかつては、作家が書いた小説作品を原作としていた。振り返れば、そんな時代も懐かしい。