「朝寒や高野の僧のかぶりもの」(岡田耿陽)…
「朝寒や高野の僧のかぶりもの」(岡田耿陽)。季節の変わり目に「一雨ごとに暖かくなる(寒くなる)」という表現を使うが、最近はそれを実感する。雨が降るたびに寒さが身に染みる気がする。
歳時記では、秋の寒さを形容する表現がかなり多い。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』には「やや寒」「うそ寒」「肌寒」「朝寒」「夜寒」「そぞろ寒」「露寒」などがある。
昔の人は微妙な温度差を実感していたのだろうが、今ではその差を理解するのは難しい。家もコンクリートなどで外気を遮断し、室内には暖房があるという環境では無理もないだろう。
ちなみに「やや寒」と「うそ寒」について『ホトトギス新歳時記』を見ると、「秋になって感じ始める寒さである。少し寒いというほどの秋の寒さである」(「やや寒」)、「やや寒、そぞろ寒などと同じ程度の寒さであるが、その寒さを感じる心持に違いがある。なんとなく、うそうそと寒いことをいう。うそは薄(うす)の訛りで、うすら寒く心の落ちつかない感じである」(「うそ寒」)。
心持ちの違いというと主観的な表現になるから理解しにくい。現代人には無理だが、当時の人々は意識して使い分けていたのかもしれない。
秋の寒さもそうだが、一雨ごとに紅葉も深まっていくようである。紅葉していく木々を見ていると、寒さを忘れて華やかな気分になるのも確か。秋から冬へと移っていく自然が織り成す美しい変わり目である。