70年前の敗戦でそれまで国民が持っていた…


 70年前の敗戦でそれまで国民が持っていた価値観が、一気にひっくり返ったと言われる。壮烈な戦死を遂げた「軍神」や遺族に対する評価の変化にも、それがよく表れている。

 昭和19年10月25日、神風特攻隊の隊長として先陣を切った関行男大尉(行年23)は死後、2階級特進で中佐となり、軍神として顕彰された。戦争中は尊ばれたが一転した。

 『敷島隊五軍神の志るべ』(神風特攻敷島隊五軍神奉賛会編)によると、終戦直後から、関中佐の母サカエさんの周辺には「行男氏が、生きて還ってきて押入れの中にかくれている」という噂が広がった。

 <「軍神なんてなによ」。昨日まで「軍神の母」と、神様あつかいにしていた人まで、サカエさんを見て冷笑するのだった>。さらに昭和28年、サカエさんが亡くなった時のマスコミの対応もぞんざいなものだった。

 <「軍神の母が逝去しました」と新聞記者に知らせたら(新聞記者は)「そんなもの記事になりますか、軍神がなんですか」と吐き捨てるように言った…「軍神の母」として、戦中は、サカエさんにつきまとっていた新聞記者がである>。

 一人息子を亡くし、関家は断絶した。「行男の墓を建ててやってください」とのサカエさんの遺言が実現し、有志による「関行男慰霊碑」が建立されたのは昭和50年。特攻の真実が雑誌などに掲載されるようになったのも、ようやくその頃からだった。