「人生不可解」と伝えられる言葉を含む遺書「巌頭之感」を…


 「人生不可解」と伝えられる言葉を含む遺書「巌頭之感」を残して、一高生藤村操が日光華厳の滝に身を投じたのは、明治36年5月22日のこと。遺体は7月に発見された。西暦では1903年、20世紀初頭だ。いわゆる「世紀末」から時間はたっていない。少年は16歳だった

 が、遺書を読むと「万有の真相は唯一言にして悉(つく)す、曰(いわ)く『不可解』」という言葉はあるが、「人生不可解」はない

 ほぼ1世紀がたつうちに「人生不可解」が定着してしまった。もっとも、近頃の若者はこの言葉自体を知らない人も多いだろう

 当時この事件は、哲学的自殺と言われ、大きな話題になった。哲学的理由だけで人が自殺できることが注目を集めた。が、その後、背景に恋愛問題があったことが分かってきた。結果、純粋な哲学的自殺ではない、と言われるようにもなった

 が、恋愛問題がきっかけだったとしても、行動そのものは哲学的自殺の形をとっている。少なくとも、当人は哲学的煩悶に直面していたのだから、これを理由とする自殺ではないと断定することもできない

 本物の哲学者は「万有の真相は不可解」という断定自体がおかしい、と反論する。この世が本当に「不可解」ならば、「不可解」と言い切ることもできないはず、というのが哲学の立場だ。16歳の少年に対してはいささか酷だが、そう批判するしかないのも確かだ。