厚生労働省は、大戦後、シベリアの収容所…


 厚生労働省は、大戦後、シベリアの収容所などで死亡した抑留者約1万人の名簿を公表した。日本人捕虜を抑留し強制労働を行わせたことは、大戦の悲劇、ソ連の国家犯罪として風化させてはならない。

 名簿は読売新聞と産経新聞に掲載されたが、漢字表記が確認できずカタカナで書かれたものが大半だった。紙面を埋め尽くした名前が白骨のように見えたのは、カタカナ表記のためだけではないだろう。

 抑留者の墓地はいくつか残っているというが、大半はシベリアの大地に眠ったままだ。そのことを思うと怒りがこみ上げてくるが、慰めになる話もある。ロシアではなく、1991年にソ連から独立した中央アジアのウズベキスタンのこと。かつてこの国の収容所にも2万5000人の日本人が抑留され、約800人が亡くなっている。

 ソ連は抑留の事実を隠したいため、墓地は1カ所だけを残し更地にしようとした。しかし、現地ウズベクの人たちは、それを拒み続けた。彼らは穏健なイスラム教徒だ。

 13カ所ある墓地は独立後、中山恭子駐ウズベキスタン大使(当時)の要請に応えて、同国政府がきれいに整備した。日本人墓地を現地の国が整備するのは異例という。

 また、日本人抑留者が建設に従事したタシケントのナヴォイ劇場は、1966年同市を襲った大地震でもびくともせず、日本人のやる仕事は立派だと評判になった。両国の友好のシンボルとなっている。