夏目漱石が亡くなったのは大正5年12月9日の…
夏目漱石が亡くなったのは大正5年12月9日のことで、享年49歳。死因は胃潰瘍だった。胃の状態の悪い中、漱石は11月21日、辰野隆(ゆたか)の結婚式に参列した。辰野は東大のフランス文学専攻で、大学院生か講師だった。
時の東大総長の話が1時間にわたって続く席上、漱石は南京豆を油で揚げたものを食した。長時間の演説によるストレスか、南京豆によるものか、帰宅後胃の状態が悪化し、回復することなく死去した。「漱石は南京豆を食べて死んだ」という伝説がその後流布することとなった。
が、式の当事者である辰野は、漱石の死因については後から知った、と告白している。そのことは、今年2月に再刊された辰野著『忘れ得ぬ人々と谷崎潤一郎』(中公文庫)に記されている。
辰野は、漱石の弟子だったわけでもなく、東大文学部の後輩にすぎなかった。二人は初対面で、式の場で漱石が「やあ」と声をかけただけの関係だ。自身の結婚式が漱石の死因に関係しているらしいことを、当初辰野が知らなかったのもやむを得ない。
辰野は、幸田露伴、森鴎外、漱石、谷崎潤一郎の4人を「四天王」と呼んで高く評価した。彼は、小林秀雄の師匠として知られるが、最優秀の弟子だった小林は、漱石や鴎外を含む明治文学には全く関心がなかったのは皮肉な話だ。
面倒見のよい大学教員として、14歳年ュの小林らを育てた辰野は昭和39年、76歳で亡くなった。