「今も、肖像の大作を制作しているとき、…


 「今も、肖像の大作を制作しているとき、モデルさんを見ては形をなおします。どこまで肉薄してつかめるか、ゴールがないのです」。先日亡くなった、洋画家で芸術院会員の庄司栄吉さんにインタビューした際の言葉。

 10年前のことで、当時87歳だ。大阪の出身で、絵の勉強を始めた時、師の赤松麟作からは「徹底的に対象物を見る」ことを教えられ、入学した東京美術学校(現東京藝大)では寺内萬治郎からデッサンの重要性を学んだ。

 好んでモデルにしたのは音楽家やダンサーで、制作に取り掛かる前に、モーツァルトやバッハの音楽を聴いて、心を整えてから絵筆を執ったという。作品も色彩がリズムを奏で、音楽が聞こえてくるかのようだ。

 晩年に刊行した画集に『セレベス追想』がある。1943年から46年にかけて、海軍の教員としてインドネシアのセレベス島に赴任。その間に描いた人物や風景など、油彩3枚とスケッチ約60点を収録。

 現地で仕事をしていた日本人が帰国した際、数冊入手して現地へ持参。庄司さんの教え子たちを探して声を掛けると、モデルになった人たちが現れ、メッセージを庄司さんに送った。

 それを受け取った庄司さんはセレベスを再訪し、彼らと再会して大歓迎を受けたという。小紙でも70年代の末に、寺崎浩さんの連載小説「空ひらく」の挿絵を担当していただいたことがある。油彩のような重厚さがあった。