69年前の終戦の日の日記に永井荷風(66歳)…
69年前の終戦の日の日記に永井荷風(66歳)は「今日正午ラヂオの放送、日米戦争突然停止せし由を公表したりと言ふ」(『断腸亭日乗』)と記した。大仏次郎(48歳)は「未曾有の革命的事件」とした上で、この屈辱を血気盛んな青年将校が黙って受け入れるだろうか、と不安を表明した(『敗戦日記』)。荷風のそっけなさと、大仏の政治情勢への目配りの対比が面白い。
この日をセミの声と共に記憶している人は多い。が、今の若者はセミの声をうるさいと感じる、との報道に接したことがある。セミの声を騒音とする文化が日本の若者の間に生まれ始めた。
人工物に囲まれて育った若者がセミに関心を持たないのは当然だ。人工物は経済行為と結び付くが、自然の中で生き死にするセミの経済的価値は小さい。そんな中で育てば、セミの声をうるさいと感じる人間が増えるのも不思議ではない。
虫は見た目だけで生理的嫌悪感を与えることがある。昆虫に手を触れた場合はもちろん、目で見ただけでも「キモイ」とされることも多い。
「たちまちに蜩(ひぐらし)の声揃ふなり」という中村汀女(ていじょ)の句は、一匹鳴くとあちこちで続いて鳴き出すヒグラシの生態を詠んだものだが、このセミの微妙な性質にまで踏み込んだ観察が句の前提になっていよう。
若者のセミ嫌いは今後しばらく続くだろうが、自然を排除してひたすら人工物を追い求めるのがまっとうなこととは到底思えない。