「自分探し」という言葉はいつごろから…
「自分探し」という言葉はいつごろから使われるようになったのだろう。半世紀前には、そんな言葉はなかったような気がする。似た言葉で「本当の自分」というのもある。「自分探し」も「本当の自分」も、同じころから使われ出したのだろう。
特に「自分探し」は、旅と結びつくことが多い。「本当の自分」を求めてどこかへ旅をする、というイメージだ。その結果、探していた「自分」が見つかるとは限らない。見つからないのが普通だろう。
「本当の自分」なんか探す必要はない、と養老孟司氏は言う(『「自分」の壁』新潮新書)。「本当の自分」を求めてウロウロしている間抜けな自分が「本当の自分」だ、というわけだ。
「本当の自分」などというつまらぬ言葉に惑わされるよりも、ここにいる自分自身をしっかり見つめた方がいいに決まっている。
むろん、「自分探し」の成功例もある。松尾芭蕉の場合は、旅によって「本当の自分」を発見した稀なケースだ。元禄2(1689)年に行われた『奥の細道』の旅がなければ、芭蕉は今日の評価を得ることはできなかったと言われる。
旅の後、5年の年月を費やして『奥の細道』は完成した。その5年間も、正真正銘の「自分探し」だっただろう。芭蕉にしても、『奥の細道』の東国紀行が成功を収めるという成算はなかったはずだ。「自分探し」には才能も運も必要だ、ということを芭蕉の例は示していよう。