大正2年8月、志賀直哉は里見弴(とん)と…


 大正2年8月、志賀直哉は里見弴(とん)と連れ立って芝浦へ涼みに行った帰り、線路の脇を歩いていて山手線の電車にはねられ重傷を負う。その後養生のために、兵庫県の城崎温泉を訪れた体験を基に生まれたのが名短篇「城(き)の崎(さき)にて」だ。

 直哉ら文人にも愛された城崎温泉だが、関東地方ではテレビの旅番組でも意外と登場することが少ない。それが、野々村竜太郎兵庫県議の「号泣会見」で俄(にわ)かに脚光を浴びている。

 政務費を使って1年にこの温泉のある豊岡市に106回も行ったというのだから、野次馬的興味もわくだろう。

 テレビのワイドショーでは、城崎のシンボルである柳が枝を垂れる大谿川べりを下駄履き浴衣姿で闊歩(かっぽ)する温泉客の姿が映し出されていた。かつて町ぐるみで暴力団を排除。その甲斐あって今も落ち着いた温泉地の風情が保たれている。

 野々村県議の会見映像は、インターネットを通し世界中に拡散しているという。それを見た人々は何を思ったろう。ここでは県会議員であることが問題だ。民主的な選挙で選ばれた限り、政治家はその国あるいは地域の有権者の政治レベルの反映と見られることを忘れてはならないだろう。

 残念なのは、号泣会見だけがネットで流れ、城崎温泉の映像は登場しないことだ。あんな情緒のあるリゾートは、世界広しといえども、そうない。外国人はきっとクールでディープな日本を発見し、一度は行ってみたいと思うはずなのだが。