「カルチャーセンターの女性たち、あるとき、…


 「カルチャーセンターの女性たち、あるとき、私のこと嫌ってね、ずいぶんいなくなった」と、昨年10月に亡くなった文芸評論家の秋山駿氏が、没後刊行された著書(『私の文学遍歴』作品社刊)の中で語っている。

 カルチャーセンターの受講者は女性が圧倒的に多い。特に、年配の人が多数を占める。彼女らが秋山氏に反発して辞めてしまったのは、戦時中の女性の戦争についての考え方をめぐる違いのためだった。

 「女性は戦時中、平和のことばかり考えていた」などと言われる。「そんなのは変だ」と秋山氏が発言したことが受講者には気に食わなかった。

 秋山発言がいつのことで、受講者がどんな年代だったのかは分からない。だが、戦時中の女性に関してこうした通念があったことは何となく理解できる。それが現実とは全く懸け離れた虚構であることも明瞭だ。

 秋山氏はまっとうだったのだが、氏のような見方に反発する空気があったことも確かだ。秋山氏は、日本で夫の帰りを待つ女性たちも辛いだろうが、実際に戦地で一日8里も歩く兵隊も辛いはず、とも語っている。しかし、「戦時下の女性」にばかり焦点が当てられる時代風潮の中では、秋山発言がまともに受け止められることは少なかった。

 戦争の実体ではなく、観念や思想が一人歩きする傾向は、戦争から時間がたつほど強まるだろう。一批評家の回想は、こうした流れの奇怪さを図らずも伝えている。