「箱根こす人もあるらし今朝の雪」(芭蕉)。…


 「箱根こす人もあるらし今朝の雪」(芭蕉)。雪にまつわる俳句の季語には「雪見」「雪掻(ゆきかき)」「雪卸(ゆきおろし)」「雪踏(ゆきふみ)」「雪合戦」「雪達磨(だるま)」などがある。雪に親しんできた日本人の生活風景が浮かび上がる。

 しかし、その雪には恐ろしい側面があることを今回改めて思い知らされた。関東甲信や東北地方を襲った大雪のために、地域によっては周囲から孤立し、物流などが滞った。

 首都圏でも、つい最近まで近所のスーパーの棚からパンやその他の食品が消えていた。大雪は都市のインフラの脆弱(ぜいじゃく)性を浮き彫りにしたと言える。

 それとともに、自然の力の大きさを感じさせた。大雪に限らず、地震や噴火、大雨、台風も人間の力では止めることができない。特に高齢化が進んでいる現在は、災害への対応が遅れると被害が甚大になってしまうことも忘れてはならないだろう。

 先日、小社の近くにある桜の木の枝がいくつか雪の重みで折れているのを発見した。昨日付小紙に、栗山八千代さんの句「雪折れの枝の傷口瑞々し」が紹介されていたが、まさにその通りの光景だった。

 痛々しい印象だったが、そんな傷があっても、桜の木は春になれば花をきっと咲かせることだろう。植物は毎年、雪にも負けず、冬の厳しさを越えて春には葉や花を咲かせる。その姿には生命力の強さが表れている。生きるとは、さまざまな試練を乗り越えていくことと改めて教えられたような気がする。