われわれ人間は、あるものが視覚に捉えられて…
われわれ人間は、あるものが視覚に捉えられていても、実際には見ておらず、はっきりと認識していないことの方が多い。それを実感することがあった。
小社の最寄り駅はJR埼京線の浮間舟渡駅で、池袋方面から来ると北赤羽駅の次になる。両駅ともホームが高架上にあり、様子はほとんど変わらない。車中うとうとしていたりすると、うっかり北赤羽に下りてしまうこともある。
ところが最近、両駅のホームのフェンスには真ん中に1本、帯状に色が塗られており、浮間舟渡は緑、北赤羽は薄い紫であることに初めて気が付いた。駅名表示が目に入らなくても、その色ですぐ判別がつく。通勤のたびに視覚が捉えていても認識はされていなかったのである。
何人かの同僚に聞いても、その色の違いを知っている者はいなかった。当たり前のことだけれど、認識というのは感覚だけでは不十分で、対象が持つ有用性とか意味合いとかがあって初めて成り立つということだろう。
ロシアのソチで冬季オリンピックが開幕し、金銀銅のメダルを賭けて熱戦の火蓋が切られた。同じメダルでも、選手にとっては色の違いが決定的な意味を持つ。それぞれの選手には、メダルの色に対する特別の思いがあろう。
それは悔しさを晴らす色であったり、夢の色だったりする。色の意味がはっきりしている選手ほど、そのメダルに近いということは、言えるのではないか。