「水音も記憶の中にありて夏」(星野立子)…


 「水音も記憶の中にありて夏」(星野立子)。5月になり、どこか心の奥から爽やかな空気を感じている。いつの間にか春から夏の季節に入っているという印象だ。

 特に、初夏は新緑の時期で緑が映え、風も若葉の香りを運び、手に触れる水温も快いほどである。稲畑汀子編『ホトトギス新歳時記』にも「初夏は木々が若葉し快い時期である」と記されている。

 ゴールデンウイークに入り、新緑を全身に感じたい気もしているが、例年のような浮き浮きした気分にはなれない。新型コロナウイルス禍によって外出を自粛しなければならないことがやはり大きい。

 星野立子の俳句には、冒頭で引用した句のほか、この季節の気分を巧みに表現している「五月来ぬ心ひらけし五月来ぬ」がある。確かに、この季節は心身ともに解放され、見るもの聞くものが新鮮に感じられる。誰もが旅に出たいという気持ちになりやすいのも分かる。

 詩人の萩原朔太郎は、そのような気分を「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し」と「旅上」(『純情小曲集』収録)で詠んでいる。朔太郎は、その黙(もだ)し難い思いを抱えて新しい背広を着て旅に出る。せめて気分だけでもフランスへ行ったつもりになりたかったのだろう。

 今は自粛生活で旅は控えたいが、朔太郎に倣って旅をしている空想をしてみるのもいいかもしれない。朔太郎の旅は「五月の朝のしののめ」のことで、まさに今の時期である。