政治評論家で万葉集研究家の四宮正貴さんが…


 政治評論家で万葉集研究家の四宮正貴さんが亡くなった。政治評論の基礎をつくっていたのは、古事記や万葉集などの古典文学で、それらが編纂(へんさん)された時代の皇室文化に国の基本となる姿を見ていた。

 昭和44年に二松学舎大学国文科を卒業したが、若き日に文学の上で師事したのは作家の中河与一。短歌をその夫人で「をだまき」を主宰する中河幹子に学んだ。夫妻が親しくしていた文学者の一人に保田与重郎がいた。

 「美しきやまとの國の山川を静かに清く歌ひたまえり」と保田の歌を懐かしんでいる。月刊の「政治文化情報」は、全ページを1人で作っていた。令和3年3月28日付の424号で最後だ。よく書き続けたものだ。

 この冊子は、伝統文化に基づいた時事評論から始まり、永井荷風に倣って日常の出来事を記した「千駄木庵日乗」と続き、「この頃詠みし歌」で締めくくられる。が、形式にはこだわっていなかった。

 千駄木庵というのは、自宅が東京・千駄木のマンションにあったことに由来する。街中を散歩することもあり、地元の人々の暮らしと歴史を紹介し、短歌と併せて四宮さんの人柄に親しみを感じさせた。

 亡くなる前月某日のこと。朝から病院に赴いて診察と検査を受ける。終わったのは3時すぎ。塩分摂取を少なくせよと、医師から注意を受けたという。催し欄には4月14日に開く研究会の案内があった。突然、世を去るとは考えていなかったようだ。合掌。