東日本大震災から10年の節目の今年は、各種…


 東日本大震災から10年の節目の今年は、各種の関連行事が行われた。震災の記憶を風化させないで、防災・減災に生かしたい。岩手県陸前高田市の高田松原跡地に防腐処理して保存される「奇跡の一本松」も、震災を伝えるものの一つだ。

 この高田松原近くの旧「道の駅」前に2013年11月に再建された歌碑がある。岩手県が生んだ歌人・石川啄木の「頬(ほ)につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず」の歌が刻まれている。

 啄木の歌碑は、チリ地震(1960年)の津波と東日本大震災で2度も流出している。「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹(かに)とたはむる」などの歌が愛唱されたのは没後のことで、歌碑の再建は、その生涯が生活苦と病苦にあえぐ流浪の身だったのを象徴するようでもある。

 アナキスト、革命家の側面も付きまとう啄木だが、宗教学者の山折哲雄さんは震災後に「単なる近現代の歌人ではな」いと評価が変わったという。歌人・三枝昂之さんとの対談で「啄木はすうっと万葉の世界に行ってしまう。日本人の原体験というか、自然との相関の中で作り上げられた世界観、宇宙観へ自然に入っていきます」と語っている(毎日新聞2012年1月4日付夕刊)。

 あるいは「啄木ほど作品の中に『心』という言葉を使った歌人はいないのではないでしょうか。これも西行と共通する点です」とも。

 啄木は1912年のきょう、結核で26歳で早世した。