西行の歌の中では話題になることが少なそう…
西行の歌の中では話題になることが少なそうな歌。「なにごとも/昔を聞くは/なさけありて/ゆゑあるさまに/しのばるるかな」(『山家集』715番)。
読者は自由に解釈していいに決まっているが、これは北面の武士だったころを懐かしんだ歌との解釈もある。23歳の時、出家した。この歌が詠まれた時期は分からない。
「昔の話はしみじみと感慨が深く、由緒があるように見える」といったところが普通の解釈だろうし、テクストにもそのように書かれている。だが、西行の歌だと改めて思うと、読む者の勝手な解釈が許されるような気がする。
昔の話とは歴史のことだと言えそうだ。過去に起こったいくつもの史実からは、時間を隔てた昔に対する深い思いが生まれる。自分一人の歴史であれ、日本や世界の歴史であれ、事情は変わらない。
西行は1190年に亡くなっているので、鎌倉幕府の滅亡(1333年)も織田信長の死(1582年)も知らない。明治維新など知るはずもない。西行が言う「昔」にはどんな中身があったのだろうとも考えるが、並外れて思索の深い彼のことだから、昔の材料はたっぷりあったはずだ。
西行没後800年以上たった今を生きるわれわれも、それぞれ歴史を持っている。西行の見たものとは様子は多少異なっているとしても、それほど隔たったものではないだろう。「昔を思い出す動物」である人間が、たかだか800年程度で変わるものではなさそうだ。