「三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。…


「三鷹の此の小さい家は、私の仕事場である。ここに暫くとじこもって一つの仕事が出来あがると私は、そそくさと三鷹を引き上げる。逃げ出すのである。旅に出る」。作家、太宰治の「誰」(昭和16年)の一節だ。

 東京都三鷹市は、この作家の終(つい)の棲(す)み家となった家のあった街。三鷹村下連雀113に妻子と暮らした小さな借家があった。師友弟子らと文学談議に花を咲かせた住まいだったが、現存しない。

 「此の小さい家」が先月、JR三鷹駅の南口にある三鷹市美術ギャラリーの中に再現され、オープンした。玄関と書斎の6畳間はそのままで、3畳と4畳半の部屋は展示室として使用されている。

 展示品には津島家からの寄託資料が多い。太宰の本名は津島修治だ。珍しい資料がたくさんあった。表札、文箱、懐中時計のような身の回り品もあれば、その額の大きさに驚いたという「追徴税額通知書」まで。

 風景や人物を描いた油彩類は、文章と違ったもう一つの面を表現していて興味をそそる。描いた場所は友人のアトリエや三鷹駅前に住む画家、桜井浜江のアトリエだったという。色使いはフォーヴィズム風だ。

 横から描いた《自画像》(昭和22年)の場合、顔は黄、白、緑が使われ、服は青緑、空間は黒と白。即興で筆を使い、激しい感情を直截(ちょくせつ)に表現している。この近くには太宰治文学サロンがあり、資料を展示している。新たな名所が「太宰治マップ」に加わったのである。