正月休みに尾崎一雄の随筆集『沢がに』(昭和…


 正月休みに尾崎一雄の随筆集『沢がに』(昭和45年皆美社刊)を読んだ。この人の文章は、まず間違いなく肩がほぐれ、しかも正月にふさわしい清々(すがすが)しい気持ちにしてくれる。懐かしい昭和の情景も浮かんでくる。

 尾崎は16歳で志賀直哉の「大津順吉」を読んで感動し、作家を志すが、結核を患って郷里の神奈川県小田原市下曽我に疎開し、長く闘病生活を続けた。そういう体験を経て「虫のいろいろ」「美しい墓地からの眺め」など傑作短編を残し、戦後の私小説・心境小説の代表作家となった。

 『沢がに』の「村の放送よしあし」では、有線放送で「谷津の○子さん、至急自宅へお帰り下さい」という放送を時々聞くが、それは村の大変話し好きの人で、家を出るとあちこちで話し込んでしまい、家人が有線放送で呼んでもらうという話。実に長閑(のどか)な時代だった。

 「わが家の台風」は、長女と長男の一家が実家に遊びに来る話。それぞれ子供を入れて4人、5人の家族で、住む場所にちなんで洗足台風、菊名台風と呼んでいる。子供たちが家を出て独立し、「せいせいした」という老夫婦だが、実はこの「台風」を待っている。

 「年に一度の吉例として」両家族が蜜柑(みかん)狩りにやって来て合同台風が吹きすさぶ。その情景を尾崎は楽しそうに描いている。

 新年早々、尾崎の随筆などシブ過ぎという人もいるかもしれない。しかし、家族、地域、そして自然が幸せの基礎にあるのは今も変わらない。