伊藤整著『若い詩人の肖像』(1956年)は…
伊藤整著『若い詩人の肖像』(1956年)は自伝的小説だが、その中に「京都という町が明治までの日本の全歴史を負うように自分の前に意味ありげにたっていることと、自分がみすぼらしい一中学教員として、その前で口をあいて見ているという形が気に入らなかった」という一節がある。
日本史を代表しているかのような京都の町がそもそも気に入らない。加えて、その京都に圧倒されている自分も気に入らない。関東大震災後、20代前半の伊藤が、教員として生徒を引率して北海道から初めて京都にやって来た時の感慨だ。
評伝『伊藤整』(94年)を書いた文芸評論家の桶谷秀昭氏は、その本の中で、その後の伊藤が、田舎者の京都に対する劣等感ではなく、日本文化の伝統を「忌々しい」と捉える方向で自身の文学世界を構築していった点を強調している。
確かに文化は人を圧倒する。文化や歴史の重みは、それ自体がパワーを持つ。それを前にした人間が劣等感を持つことも不思議ではない。
「千年の都」である京都はもとより、「百五十年の都」にすぎないものの、政治の中心地としては江戸幕府以来400年以上の歴史を持つ東京も、文化の力で人を圧倒する。
北海道出身の伊藤は、いったんは京都に圧倒されながらも、自身の文学的経歴の中でそれを乗り越えることができた。特定の場所が持つ文化のパワーに人はどう対処するかという点で、伊藤の在り方は興味深い。