テレワークで家にいることが多くなって、…


 テレワークで家にいることが多くなって、世捨て人のような気持ちになっている。テレビやインターネットで社会につながっていても、情報が一方的になるか偏っていれば、むしろ不安を増長したり、思い込みを生んだりすることもある。

 社会や世界の情報は入ってくるが、身近な人のことは実際に会わないと、どうしても不安になる。新型コロナウイルスの感染防止のため、家に引きこもることが多いからで、それは仕方がない。こうした新しい環境になじめないということもある。

 社会的な存在である人間は、交際をすることで社会性を身に付ける。精神や生活を安定させるためには人との交流が必要だ。

 日本文学には、世捨て人、隠遁(いんとん)者のモノガキや歌人がいた。歌人の西行や『徒然草』を書いた吉田兼好、『方丈記』の鴨長明らも隠遁した部類に入る。ところが、世を捨てたといっても、彼らは人間世界から隔絶した場所にいたのではなく、何かあれば都や他の人間との交流や交際を欠かさなかった。

 電話もパソコンもスマートフォンもなかったので、手紙を書くか、直接相手に会いに行くしかなかった。その意味で、隠遁者の文学には、むしろ世間を意識した心理がうかがえる。

 「つれづれなるままに」筆を走らせた兼好の文には、驚くほど世間という顔が見えてくる。今やデジタル化が進んだ時代、スマホやネットを活用し、兼好のように隠遁生活を豊かにするしかないようだ。