心を豊かにする自然体験
小学校の頃、通学路に大きなザクロの木があった。ザクロの実が開く頃になるといつも甘い香りが漂ってきて、その実が本当においしそうに見えたものだ。
ところが、はるか後に会社からの帰り道を歩いていると、ザクロの木もないのにその甘い香りが漂っているではないか。辺りを見渡すとオレンジ色の小さな花が集まって咲いているキンモクセイの木がある。その時になってやっとその香りの正体を知ったわけだ。
こんなことを思い出したのは最近、通勤途中で小さな白い花が集まって咲いているヒイラギモクセイの木を見つけたためだ。近寄るとほのかにキンモクセイとは趣の変わった甘い香りがする。同じ科・属ではあっても、葉っぱの形、花の色、香りなど、こんなにも違う。実体験は時にへんな勘違いもあるが、発見の感動もまた新鮮で大きい。
百聞は一見に如かずというが、要するに間接的な知識は実体験にはかなわないということだろう。かつて間接的な知識(百聞)の媒体は人や書物、絵だったが写真ができ、音声情報が加わり、最近はコンピューターやスマホが発達して、知りたいものの単語を入力しさえすれば瞬く間に豊富な知識が得られる。ふんだんな写真だけでなく3次元の動画・音響もあるから、視覚、聴覚の情報としてはほぼ完璧な知識を得られるし、最近はそれに加えて皮膚の感触(触覚)や香り・臭い(嗅覚)の情報も伝達できるように開発が進んでいるとも聞く。
「百聞」が「一見」に限りなく近づこうとしているのだろうが、やはりその溝は大きい。千変万化の大自然の中で体験する色彩、明暗、冷温、風、香り、その全ては分割された情報ではなく統合されて今をつくり、その中にいる私たちの心を豊かにしてくれる。秋晴れの清々(すがすが)しい日が続いているが、外に出て光や風を心ゆくまで浴びながら今の時間を楽しみたい。(武)