「家族の病」を越えて
お盆の休み、二つの家族本を読んだ。下重暁子氏の『家族という病』、もう一つは発達障害の専門医・星野仁彦氏の『家族と言う病巣』だ。
前者は下重氏の家族史であり、家族が互いに何をしているか知らない、希薄な家族関係だったと吐露している。家族団欒(だんらん)なんて幻想と言い放ち、家族への恨み節にも受け取れる。
後者は、ADHDという「発達障害」と「機能不全家族」という二つの問題を抱えていた著者が自身の体験談を織り交ぜて、現代家族の病理を論じている。
小さい時から自己管理や物の管理が苦手で、事故やケガが絶えず、運転教習所の教官から「一生運転しない方がいい」と忠告されるほどだったという。その上、三つ上の兄が川で水死したショックで父親がPTSD(心的外傷ストレス障害)に陥る。些細(ささい)なことで暴力を受けたと書いている。
人はだれにも話せない家族の病を抱え込んで生きている。筆者の周りを見渡しても、引きこもりやうつ病、親に寄生するパラサイトシングルなど、何らかの問題を抱えている人が少なくない。夫婦関係が良好で子供がちゃんと結婚している家庭はむしろ珍しい。
こうした「機能不全家族」は年々増え続けているそうだ。星野氏によると発達障害と機能不全家族を併せ持つと、大人になって大きな問題を引き起こしやすいという。元少年Aによる手記を出した酒鬼薔薇聖斗がそうだ。
では、家族の病をどう越えていったらいいのか。下重氏のように、家族より個人が大切だと、家族と個人を切り離して生きることを表明しても未来に展望は拓けない。負の連鎖をどこかで断ち切って健康な家族を取り戻していかなければならない。
そのためにはまず、家族とは何か、本当の夫婦、親子の関係を見つめ直すところから、家族の再生が始まるような気がする。(光)