患者教育


 今年82歳になる妻の母が体調を崩して入院した。見舞ったところ、血色がよく、家にいる時よりも元気そうだった。

 「重病ではないな」と、ほっとして家に帰る車中、助手席の妻がぼやいた。「入院するなり、若い担当医は『延命治療はしますか』と言うのよ。おばあちゃんと顔を見合わせ、唖然としてしまったわ」。

 高齢者ともなれば、ちょっとした体調の変化が命に関わることはめずらしくない。そんな患者に多く接する医師としては、延命治療を希望するのか、しないのかを確認しておくことは当然の手続きなのだろう。

 筆者は、患者の意志とは関係なく、人工呼吸器などで心臓や肺を動かし命を延ばすことが果たして意味のあることなのかと疑問に思っている。過剰な延命治療が医療費高騰の一因になっているという現実もある。だから、担当医の質問の意図は分かる。

 だが、ある意味、医療はサービス業。患者の立場に立った丁寧な説明を心掛けるのは医師の義務だが、高みから患者を見下ろす医師はいまだにいる。ましてや、延命治療について深く考えない患者やその家族にとってみれば、医師の口から詳しい説明もなくその言葉が出てくれば、「重症なのか」と誤解してしまう。

 その一方で、医師に同情したくなる状況もある。患者の数が多すぎて、通り一遍の対応を強いられている。社会の高齢化に加え、皆保険制度が過剰に医療機関を利用する人を増やしてしまっているのだ。

 そこで大切になってくるのは子供の頃からの「患者教育」。簡単なことではないが、「病老苦死」から逃れられないのが人生なのだから、過度に病院や薬に頼らない意識を育て、体に備わった自然治癒力や抵抗力を高めることも必要だろう。そうした教育の中で、延命治療について考えることは、自らの死生観の確立にも役立つはずだ。(清)