1957年建造の砂防会館の建物の前に…


 1957年建造の砂防会館(東京都千代田区平河町)の建物の前に脚絆をつけた紳士の銅像が立っている。土砂災害を防止する「砂防」事業に尽力した赤木正雄翁(1887~1972)だ  わが国は明治以降、主に堤防設置によって河川の氾濫防止に努めた。その一方、山林が国によって民間に乱売されたことで荒廃したり、伐採されたりしたことが水害や土砂災害を誘発する原因となった。

 これに対し、国が総合的な砂防工事に力を入れ始めたのは大正末期で、これを指導したのが赤木だった。赤木は大学の林学科を出た森林の専門家だが、「治山のためには砂防を、砂防のためには上流に森林を」が信条でその通り実践した。

 内務省時代に吉野川・信濃川・木津川などの治水工事を手掛け、立山の砂防工事にも着手した。退職後も六甲山砂防工事などを指揮した。一貫して森林整備を基盤とした総合的な治山治水の重要性を説いたのである。

 それに対し現在、河川管理に携わる研究者や官僚が、山林と河川、都市との関係の重要性を指摘し、政策を立案したという例をほとんど知らない。国の防災対策は、複数の省庁が縦割りで講じてきた。

 2001年の中央省庁再編の狙いの一つは、縦割り行政の弊害を是正することであったはず。多発する土砂災害への対策は後手に回っている印象をぬぐえない。第2、第3の赤木が現れることを願ってやまない。