わが家の歴史


 もうかなり昔の、記憶にかすかに残るぐらいのことになってしまったが、小学校の時に、自分の家の歴史を調べてきなさいという宿題があった。さっそく祖父と祖母に昔の話を聞いてまとめたが、それも一つの契機になって、祖父母からいろいろと昔話を聞くようになった。

 祖母からは、先祖はもっと川上の集落に住んでいたが、大雨で家が流されて今の場所に住むようになったことなど。祖父からは、生き馬の目を抜くような“煙の都”大阪に丁稚(でっち)奉公に出たこと、戦争中に徳島市内で空襲に遭って川の方に逃げて助かったが、家が全焼して田舎に戻ったこと、わが家にある年代の分かる一番古い位牌が元禄時代のものであることなど、私のルーツにかかわる貴重な話を聞いた。非常に面白かったので、今でも幼い頃に聞いた昔話と同じくらい、よく覚えている。

 儒教では、私は父母の「遺体」だという。父母が遺してくれた身という意味で、このような認識が自分を大切にして父母に孝を尽くす基礎となる。とはいえ、今の世に無条件で父母に孝を尽くせといっても、「そんな時代錯誤的なことを…」と一蹴されそうだ。

 しかし、孝行するかしないかは後の問題だとしても、自分が今、ここにいるまでのわが家の歴史を知ることはやはり必要だ。ただ直接の父母となれば、その生きてきた足跡を理解するためには、それなりの年齢が必要かもしれない。しかし、祖父母の足跡やわが家の歴史ということになると、身近な昔話のようになって不思議と素直に耳を傾けられるのではないか。

 だから、わが家の歴史を調べなさいという宿題はなかなかよかったと思うのだが、プライバシーの尊重が叫ばれ、すぐに祖父母から話を聞けるような生活環境にない児童が増えている今となっては、先生もそんな宿題は出しにくいのだろう。(武)