食育と「家風」


 今はあまり耳にしなくなったが、「家風」ということばがある。その家に特有な生活様式や気風、習慣などを指すが、筆者はそれが最も端的に表れるのは毎日の食事の場だと思っている。

 筆者の場合は、家業のため仕事場の隣の土間の部屋(空間)におかれたテーブルで、母親の作ってくれた食事をまず子供たちが食べた。父や母、家業を手伝う叔父、祖父母(別の部屋で食べた)は手が空いた時に随時、食事をしていた。そのため高校を出るまでは、家族が隣で忙しく働く姿を感じながら、黙ってテレビを見ながら食べることが多かった。

 そのためだと思うが、大学に入って先輩方や同輩と食事をする際に、文字通り口角泡を飛ばしながら話す先輩がいて、最初は非常に違和感を感じたものだ。

 その先輩に、家でもそんなに大声でしゃべりながら食事するのかと尋ねたら、祖父から始まって父親、兄弟に至るまで、まるでそれぞれが宗教の教祖のように自説を戦わせながらいつも食べていたというので、びっくりしたことがある。

 そんな極端なケースは少ないだろうが、地方の名家出身でいつも食事時に訪問客がいたという人もいれば、母子家庭で一人で食事をすることが多かったという人もいる。家族の人数、構成、性格、食事内容、食卓や家具の種類、部屋の大きさ等々、よく聞いてみると各家庭の食事の風景は千差万別だ。

 先日、知り合いの大学生と話す機会があった。彼は母子家庭でしかも母親が東京で出稼ぎしていたので、最近まで何年か、弟の分も含めて自炊して暮らしてきたという。その彼がポツリと、自分はスパゲティの味に一家言があり、恐らく奥さんが作っても一緒に食べる気にならないだろうと言ったことが妙に気になった。

 食育の必要性が叫ばれ、基本法もできたが、家風まで改善するのは簡単ではないようだ。(武)