回顧・2015年韓半島 目立った朴政権の中国傾斜
2015年の韓半島は北東アジアでの米中両大国の利害がぶつかる中、韓国の朴槿恵政権が中国に傾斜する一方、悪化の一途を辿(たど)っていた日本との関係が終盤に改善へ動きだした年となった。国内では襲撃事件や大規模な反政府デモなど過激な韓国社会の一面ものぞかせた。この1年を振り返る。(ソウル・上田勇実)
国交50年で対日関係修復へ
南北関係は進展みられず
朴大統領は9月、中国・北京で行われた「抗日戦勝70周年記念式典」に出席し、ひな壇最前列で習近平・中国国家主席、プーチン・ロシア大統領と並んで軍事パレードを観覧し西側諸国を驚かせた。
日米に慎重論が多かった中での訪中。就任後、安倍晋三首相とはいわゆる従軍慰安婦問題で進展が望めないことを理由に首脳会談を拒み続ける一方で、習主席とはすでに2回の首脳会談に臨んでいた。このため朴大統領の抗日記念式典参加は親中反日路線の「総決算」のようなインパクトを与えるものとなった。
朴大統領の胸中には「南北統一を視野に中国を戦略的に味方に付けたい」という思惑があったといわれており、韓国政府からは米中両国との関係を「かつてなかったほど良好」と自画自賛する声まで上がったが、日米韓3カ国の連携にくさびを打とうとする中国の戦略に巻き込まれた側面は否めない。
一方、韓国の「反日」と日本の「嫌韓」がぶつかり合う中で一向に改善の兆しが見えなかった日韓関係は今年、1965年の国交正常化から50年という大きな節目を迎えた。局長級協議などで慰安婦問題をめぐるぎりぎりの折衝が続き、朴大統領の訪米(9月)が大きな転機となって11月初めの日中韓首脳会談を利用し約3年半ぶりとなる日韓首脳会談がようやく実現した。
また記事で朴大統領の名誉が傷つけられたなどとして産経新聞前ソウル支局長が在宅起訴され、日韓間の外交問題に発展していた裁判は今月、無罪が確定した。戦中に動員された韓国人の賠償請求権は「完全かつ最終的に解決された」とする日韓請求権協定をめぐる訴訟でも韓国憲法裁判所が違憲審査請求を却下するなど、韓国側が日韓間に刺さっていたトゲを次々に抜き取り、関係修復を模索し始めた。
そして年末、慰安婦問題で日本側が「最終合意」を目指す外相会談が開かれる。元慰安婦への補償や謝罪をめぐり強硬一辺倒の支援団体や世論を韓国政府がどう説得し、慰安婦像撤去など日本側の要請にどう応えるかが焦点だ。
これらの動きは主に日韓関係改善を促す米国の意向を受けた韓国が事実上、歩み寄った結果とみられており、来年以降もこうしたムードが続くのか注目される。
南北関係ではこれといって大きく進展したものはなかった。8月、南北軍事境界線付近で北朝鮮が埋めた地雷が爆発し、韓国兵2人が大けがを負った事件を皮切りに韓半島で一気に軍事的緊張が高まった。同月下旬、南北は高位級会談を行い、韓国軍による対北宣伝放送の中止や離散家族再会などで合意した。
一触即発の危機は免れたが、離散家族再会は1回だけのイベント的開催で終わり、その後の当局間対話も1回実現したものの物別れに終わった。
北朝鮮は今年、10月の朝鮮労働党創立70周年記念式が大きな注目を浴びた。関係悪化が伝えられていた中国から共産党序列5位の劉雲山政治局常務委員が出席し、両国の「友誼(ゆうぎ)」を強調した習主席の親書が最高指導者・金正恩第1書記に手渡されるなど、両国関係が根本的に変わりがないことを印象付けた。
一昨年末、叔父で事実上の後見人とみられていた張成沢・党行政部長が処刑されて以降、側近に対する恐怖政治は続いているというのが韓国情報機関の見方で、表向きは体制が維持されているものの、依然として権力基盤が固まり切れていない不安的さを内包しているというのが現状のようだ。
韓国国内ではソウル市内の講演会場でリッパート駐米大使が韓国人の男に刃物で切り付けられ重傷を負うという衝撃的な事件(3月)が起きたり、11月には政府が進める労働改革と歴史教科書国定化に反対する左翼団体の参加者らが大規模な政権退陣デモで暴徒化するなど、依然として過激な社会の一面ものぞかせた。
このほか5月以降、中東呼吸器症候群(MERS)が猛威を振るい、38人が死亡。感染者ゼロに半年以上を要し、各種行事の中止や外国人観光客の減少などをもたらし、消費心理の低迷などで経済に打撃を与えた。
訃報では軍事独裁政権時代の民主化運動をリードした金泳三元大統領(在任期間93年2月~98年2月)が敗血症と急性心不全のため死去した。87歳だった。
金大統領は軍事政権の責任追及や経済協力開発機構(OECD)加盟、金融実名制の導入などを行った一方、アジア通貨危機に巻き込まれ国際通貨基金(IMF)から緊急資金支援を仰ぐという「韓国動乱以来の国難」を招いた責任を問われた。日本に対しては時として強硬な言動もあった。