「睡蓮の朽葉の上の目高かな」(星野立子)。…


 「睡蓮の朽葉の上の目高かな」(星野立子)。東京郊外の駅前にある花屋に手書きの広告が張られていた。「メダカが入荷しました」というものだった。懐かしい気持ちになった。

 と言っても、最初は花屋に「メダカ?」と思ってしまったのも確かである。切り花だけのフラワーショップとは違って、鉢植えや少し大きな花木を扱う規模の大きい店だったこともあるだろう。

 それにしても、今ではメダカが観賞魚として売られているのだ。気流子の世代にとっては小川でよく見かける魚で、あまりにも小さいので魚取りの対象にはならないものだった。

 取るのはハヤやヤマメのような魚で、真剣に川面を見つめながら手網などで掬い取ろうとしたことを覚えている。大概は魚の泳ぐスピードに追い付けず、一匹も取れなかったことも多い。

 メダカは現在では絶滅危惧種となっている。実際に川で見かけることはほとんどない。その意味では、商品化しているメダカに複雑な思いになったことも確かである。

 東北に住んでいた気流子の子供の頃は、都市化が進んでいた時代だった。緑地が徐々に都市部から減っていった。しかし郊外に出ると、そこには昔ながらの水田や里山、小川があって、友人とともによく遊んだ記憶がある。また、両親の実家に行くと自然にあふれた野山があった。たかがメダカ、されどメダカ。改めて自然を大切にしたいと強く思う。