グエン・ドク氏「未来へ向かっていきたい」
ベトナム戦争終結から40年、中村梧郎氏は枯れ葉剤問題を発信
「過去を振り返るのではなく、未来に向かっていきたい」。1975年4月30日のベトナム戦争終結から40年。結合性双生児「ベトちゃんドクちゃん」の弟グエン・ドク氏(34)は、サイゴンが陥落して改名されたホーチミンのツーズー病院で、自分に言い聞かせるように話した。
ドク氏は81年、米軍が大量に枯れ葉剤を散布した中部高原で生まれた。先天障害は薬剤による影響の可能性が高いとされる。7歳の時、日本も協力して分離手術に成功、今では手術を受けたツーズー病院で事務員として働いている。旅行会社で講演活動も行う多忙な生活を送っているが、兄のベト氏は腎不全などで2007年に亡くなった。
米軍の枯れ葉剤作戦はゲリラの拠点である森林の枯死を目的に、1961年から71年まで続けられた。毒性の高いダイオキシンを含む薬剤を浴びた住民は約450万人、ドク氏のように先天障害を背負った子どもは約15万人と推計されている。ダイオキシンは自然分解しにくく、障害児は今でも各地で生まれている。
ベトナム枯れ葉剤被害者協会は2004年、枯れ葉剤を作ったダウ・ケミカルなど37社を相手に米国で損害賠償請求訴訟を起こした。しかし、09年には最高裁が審理を却下し、米側から補償金は一銭も支払われていない。
ところが、米軍のベトナム帰還兵らが1984年に起こした集団訴訟では、被告の各社がすぐに1億8000万ドル(当時のレートで約430億円)もの和解金を支払い、裁判を終わらせてしまった。
冒頭のドク氏の言葉は、日本の旅行会社が戦争終結40周年で企画した「フォトジャーナリスト・中村梧郎さんと行くベトナムの旅」で、4月1日に行われた一行との面談での発言だ。
面談に同席した記者の「米国の矛盾する対応についてどう思うか」という質問に、「米国も責任を感じ、ダナンなどでダイオキシンの浄化を始めた。これからは前を向いて、一緒に経済や社会を発展させていきたい」と答えた。
一方、枯れ葉剤問題を世界に発信し続け、ドク氏の成長をずっと見守ってきた中村氏は「ベトナム人に一銭も払わず、謝罪さえ拒んでいる米国の人道性が問われる。枯れ葉剤問題は何も解決していないし、ベトナム戦争も終わっていない」と述べ、写真の力で問題解決への努力を続ける方針だ。(ハノイ時事)