「長いようで短いような4年間だった」


被災地で早朝から祈り

「長いようで短いような4年間だった」

宮城県名取市の旧閖上中学校校舎前(奥)では、犠牲者を悼み、追悼の絵灯籠が並べられた

「長いようで短いような4年間だった」

東日本大震災で犠牲となった娘の墓参りをする昆セツ子さん(左から2人目)ら=11日午前、岩手県大槌町

 激しい揺れと津波が肉親や友人を奪い、古里の風景を一瞬にして変えたあの日。東日本大震災から4年を迎えた11日、東北地方の各地では、早朝から祈りをささげる人の姿が見られた。

 津波で破壊され、職員や住民43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎には、雪が舞う中、夜明けごろから人々が集まり、献花した。義妹や知人らを亡くした佐藤良夫さん(67)は「長いようで短いような4年間だった。一日も早い町の復興を願う」と話した。

 庁舎は、震災を象徴する遺構としての保存か解体かで意見が分かれている。佐藤さんは、骨組みや階段部分だけが残った庁舎を見上げ、「個人的には残して後世に伝えたいとは思うが、住民感情を考えると難しい」と悩ましげだった。

 町職員だったいとこが今も行方不明という横浜市の河原竜二さん(63)は「諦めきれないところもあるが、受け止めていかなければと思っている」と語った。津波で家が流され、仮設住宅に暮らす後藤一磨さん(67)は、町から人が流出している現状に触れ、「(亡くなった知人らに)希望があるという報告ができず悔しい」と涙ぐんだ。

 同県石巻市の高台にある日和山公園を訪れた萩原正史さん(65)は「もう4年だが、道路のかさ上げ工事もまだまだ。まだマイナスだ」と話した。

 津波で当時の町長と職員計40人が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎前では、約30人の職員が黙とう。碇川豊町長は「多くの仲間が犠牲になったことは深い悲しみだ。大槌の再生を職員一丸で力強く前に進める」と述べた。

 町を見渡せる高台の墓地では、昆セツ子さん(76)が、津波で失った一人娘の公枝さん=当時(45)=の墓前に花を供え、手を合わせた。親子で経営していた食料品店は、一人では立ちゆかず閉めた。「考えると寂しくなるからくよくよしないようにしている」。月命日ごとに訪れているといい、この日もタオルで墓石を磨き、「また来るからね」と優しく声を掛けた。

 「お父さんに会えるのはこの場所」。福島県南相馬市小高区の鎌田フミ子さん(77)は避難指示区域内にある夫の武夫さん=同(75)=の墓にお参りした。車に孫たちを乗せ、追われるように津波から逃げたが、農作業中だった夫は間に合わなかった。「孫たちの成長を見守ってほしい」と伝えたという。