元首相たちの懲りない「反日発言」


 菅直人元首相は先月24日、欧州の非政府組織(NGO)の招きを受けてパリで講演し、そこで福島原発の汚染水について言及し、「福島第1原発がコントロール下にあるという安倍晋三首相は明らかに間違っている」と批判した。また、宇宙人と呼ばれた鳩山由紀夫元首相は昨年11月19日、韓国・釜山での講演で、安倍政権の対中、対韓政策を批判し、慰安婦問題では日本政府に謝罪と補償を要求。同元首相は中国でも日本の歴史認識を批判し、中国共産党指導者を喜ばせたことは周知の事実だ。同じように、村山富市元首相は昨年8月、韓国の招きを受けソウルで講演し、慰安婦問題で日本政府の歴史認識を批判し、韓国国民に歓迎されている。

 この一連の元首相たちの海外での反日発言を聞く度に、「日本の首相ともなった人物が国内ではなく、海外で日本を堂々と批判するその精神はどうしたものか」と感じてきた。

 政治家ばかりか、全ての国民は「言論の自由」があり、自身の考えを表現できる。元首相でも同じだが、「首相」とは国の代表だ。国内には様々な意見があり、コンセンサスがない問題も少なくないが、首相に就任した後は自身の意見や政策に一致する国民だけの代表ではなく、全国民の代表という意識が重要となる。

 米大統領選を思い出してほしい。民主党候補者が大統領に当選したとしても、その民主党大統領候補は「私は全ての米国民の大統領としてその職務を履行する」と表明する。同じように、自由民主党の首相だったとしても野党支持者の国民の代表でもある。党派に関係がない。元首相はその首相職を体験してきた政治家だ。

 その元首相が国内ではなく、国外で自国政府を批判することに、当方は首を傾げざるを得ないのだ。繰り返すが、国内でさまざまな意見を発言することは自由社会では当然だ。元首相ならば他の政治家より経験が豊富だから、現政権に知恵を貸すという意味で積極的に自身の考えを表明したとしても不思議ではない。

 問題は海外で反日発言を繰り返すことだ。もちろん、元首相を招待する海外のホスト側も元首相が現政権と意見が一致していないことを知った上で招く。例えば、中国共産党政権が鳩山元首相を歓迎し、国家主席が会談に応じるなど大サービスでもてなす。その意図は元首相も分かっているはずだ。元首相の口で日本政府を批判できれば、一層効果的だという計算があるからだ。元首相が相手側の狙いを知りながら、それに呼応する発言をするということは、国の代表を経験した政治家のすべきことではない。

 例えば、小泉純一郎元首相は2月17日、都内で講演し、安倍政権の原発エネルギー政策について、「原発はいつ爆発するかわからず、時限爆弾を抱えたような産業だ」と述べ、原発の再稼働を目指す政府の姿勢を批判した。しかし、小泉元首相は国内で現政権の政策を批判しただけだ。全く問題はない。

 米国でも国務長官や国防長官が退陣すると伝記を書き、その中で政権を批判したり、大統領を批判することはある。しかし、繰り返すが、それは国内の国民を意識した発言だ。もちろん、それらの伝記は国外でも紹介されるから、海外でも反響はあるが、本来の狙いはあくまでも国内向けだ。元米大統領が海外の招きを受け、そこで現米政権を激しく批判した、という話は聞いたことがない。

 元国家元首、元首相は国外で発言していい内容とそうではないものの識別が求められているが、残念ながら、日本の元首相たちにはその識別能力がない人が少なくないのだ。

 鳩山元首相の反日発言を薄笑いを浮かべながら聞いているのは、元首相を招いた中国政治家たちだ。彼らは内心、「この人物は品格のない政治家だ」と軽蔑しているのではないか。国や民族を超え、品格のない人物は軽蔑される。逆に、明確な信念を有する政治家や指導者に対しては、たとえ思想や信条が異なっていたとしても一定の尊敬が払われるものだ。

(ウィーン在住)