移民問題反映する仏サッカー界 反テロで一体感示せず

アルジェリア系出自の選手ら連帯拒否

 フランスの国民的スポーツ、サッカー界で移民問題が浮かび上がってきた。今年1月に起きた2件のイスラム過激派テロ事件に抗議する国民的連帯を拒否する選手が出てきたのだ。オーストリア日刊紙プレッセが2月21日付で報じた仏サッカー界の移民問題について報告する。(ウィーン・小川 敏)

イスラムへの偏見 民族差別も背景に

ゴールすれば「フランス人」、失敗すれば「アラブ人」

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1月11日、パリのレピュブリック広場で、風刺紙銃撃事件などの犠牲者を追悼する大行進のために集まった人々(AFP=時事)

 武装した2人のイスラム過激派テロリストが1月7日、パリの風刺週刊紙「シャルリエブド」本社を襲撃し、自動小銃を乱射し、編集長を含む10人のジャーナリストと、2人の警察官を殺害するというテロ事件が発生した。その直後、別の1人のテロリストがユダヤ系スーパーマーケットを襲撃し、4人のユダヤ人を殺害した。二つのテロ事件直後の11日には反テロ国際連帯大行進がパリを中心に挙行され、多くのパリ市民が参加し、「私たちは皆、シャルリ」「私はシャルリ」と書かれた抗議プラカードを掲げて、行進した。

 あのテロ事件から間もなく2カ月を迎えるが、事件の記憶はまだ生々しい。反テロに対する国民の連帯感は依然、消滅していない。同国の国民的スポーツ、サッカー界でも選手たちがユニホームに「私はシャルリ」と書かれた腕章を着け、反テロの意思表示をしてきたが、トゥールーズFCのGKアリ・アーマダ選手やヴァランシエンヌFCの3人の選手たちが「私はシャルリ」という文字をユニホームから消したことから、同国社会でちょっとした議論を呼んでいる。トゥールーズFC会長は後日、チームの選手たちの行為に対して謝罪を表明している。

 ナショナルチームには現在、4人のイスラム教徒の選手が活躍している。その中の一人でチームのエース、べンゼマ選手(アルジェリア系移民の2世)が試合前の国歌を歌わなかった、といった批判を受けたことがある。同選手は「自分がゴールすればフランス人であり、失敗するとアラブ人と批判される」と述べている。ドイツのヨハヒム・ガウク大統領は、「イスラム教はドイツ社会の一部だ」と述べたが、フランスでは、「イスラム教はフランス社会の一部か」と問い掛ける声が聞かれだした。

 同国のスポーツジャーナリストによると、「フランスのサッカー選手の80%はバンリューと呼ばれる大都市郊外の貧しい移民が多く住む公営住宅地域の出身者だ」という。例えば、FCバイエルン・ミュンヘンのMFのフランク・リベリー選手、レアル・マドリードのFWカリム・ベンゼマ選手、1998年のサッカー・ワールドカップ(W杯)優勝の英雄ジュディーヌ・ジダン選手らはいずれも大都市の貧困地域出身者だ。そしてベンゼマ選手とジダン選手はアルジェリア系移民の出身だ。2010年、フランスのナショナルチームはアルジェリアと友好試合を国内で行ったが、多くのアルジェリア系ファンからやじられた。同国のスポーツメディアは「フランスのナショナルチームは国内で試合したが、アウェーで試合しているようだった」とシニカルに書いたという。

 フランスは1998年の地元開催W杯で初優勝したが、その時のナショナルチームにはジダン選手などアラブ系出身の選手が多くいたことから、「ナショナルチームはフランスの移民統合政策の成功例だ」と評価する声があったが、現実はそうとも言えないのだ。

 イスラム教徒の選手が着替え室で祈祷(きとう)用の絨毯(じゅうたん)を敷くことを要求したり、ハラール(イスラム法に基づき処理された食物など)の料理を求めるなど、イスラム教徒の選手と他の選手との間でさまざまな不協和音が聞かれるという。

 フランスの少数民族問題といえば、ユダヤ人とアルジェリア人問題だ。特に、アルジェリア人問題は歴史的に複雑なテーマだ。例えば、フランス軍に所属して戦争に参加したアルジェリア人はフランス兵と受け取られず、民族的差別を受けてきた。また、多くのアルジェリア人がフランスの植民地時代、仏軍によって虐殺され、その遺体は川に捨てられ、川の水は真っ赤になったといわれる事件も起きている。そのアルジェリアの移民の2世、3世が活躍するフランスのサッカー界は移民問題の現状を色濃く反映させている、と言われる。